刺又はいくらでもある

バレンタインに集団自殺を ネットで呼び掛けの男逮捕(共同)

刑法の202条をご覧ください。

第202条(自殺関与及び同意殺人)

「人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、六月以上七年以下の懲役又は禁固に処する。」

日本の刑法に自殺罪というものはありません。

すると自殺した人(正犯)は無罪なのに、そそのかした人(共犯)は最長 7年間も檻の中に留め置かれるということになります。

このため共犯が成立するにはまず正犯が成立することが必要だとする考え方からは、少々理解の難しい状態になります。

そこでこれを説明する理論を得るため、なぜ自殺が不可罰なのか、その構造を考えてみましょう。

そもそも人命は国家存立の基礎となる最高価値を有するものなので、たとえ自分の命であっても国家はこれを勝手に処分することを許しえません。

一方、自然的感覚として、人が完全に生きる意義を失った時、好き勝手に自身の生命を断つ自由に国家が法をもって介入してくることには誰しも違和感を感じざるをえません。

私達は国家に管理される国家の電池ではありません。

そこで現行刑法は、個人の幸福追求権を保障するために、生命についての自己決定を認めて自殺を処罰していないのだと考えられます。

この構造を逆にいえば、当人以外が自殺に関与すれば途端に可罰的違法性が発火することになります。

さて罰し方ですが、自殺自体が可罰性を有しない行為なら、これをそそのかす罪は罰っせない共犯にはいれず、別個の犯罪類型であると考えればいいわけです(独立犯罪類型説)。

殺人罪の裏をかくように、人に自殺をそそのかしておいてあぐらをかこうとする人には、国家は特注の手錠を用意してとらまえることにしているのです。 
 

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