わたしたちは小さな痛みを飲み続ける

個人情報保護法が「直撃」 社内報作り「困った」(朝日新聞)

個人情報の保護に関する法律の第2条をご覧ください。

第二条(定義)

「この法律において「個人情報」とは、生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるものをいう。」

記事によれば、(1) 毎年この大手自動車メーカーの新人は社内報に生年月日・出身校を記載してきた。(2) 個人情報保護法の施行に伴い、記入は任意であることを本年から説明した。(3) 記入しなかった新人が、「わがままである」として再考を求められた。(4) 「深く考えていなかった」と新人はデータを提供したとあります。

個人情報保護法の2条に従えば、これは明らかに個人情報となります。

お読みになっているあなたが社会人経験のあるかたなら、この新人には現実的に選択肢がないことはおわかりになるだろうと思います。

この問題が選挙投票や政治団体への献金などを所属団体が個人の意思に反して行うような形に発展すると、憲法における「人権の私人間適用」と呼ばれる問題になってきます。

ちっぽけな一個の人間を国家権力が暴走したときに守ってくれる憲法の人権規定を、会社や報道機関など新しい権力グループに対しても応用できるのかという問題提起です。

この点、性質上当然私人と私人の間にも適用されると解される規定以外は、憲法は会社と被用者の間などには適用されないとするのが学説上の通説です。

なぜならそれでは憲法が便利屋さんのようになり、最後には本来の憲法が制すべき国家権力に対しても非力になってしまうことが危惧されるからです。

この問題を解決する考え方を憲法間接適用説といいます。

それは直接憲法を持ち出して憲法が弱体化することを避け、被用者とその会社の関係のように私人間の場合は、そもそも彼らの関係調節のために用意されたルール(民法個人情報保護法など)のなかで一般化されている条文をみつけ、ここに憲法の人権規定の精神をあぶり出して個人をなんとか助けてやろうとする考え方です。

間接適用説は法理論の遊技などではなく、司法にそれを構築させざるを得なかった社会における企業の事実的支配力を、逆説的に明らかにする点に真価があります(私見)。

個人情報保護法はその3条で、「個人情報は、個人の人格尊重の理念の下に慎重に取り扱われるべきものであることにかんがみ、その適正な取扱いが図られなければならない。」としています。

そして「個人の人格尊重」というタームを一目見れば、法学を学んだことがある人なら誰でもそこに憲法13条の精神が照射されていることをすぐに気づくことでしょう。

なぜなら13条は一個の個人から社会の仕組みを再構成した、憲法上もっとも重要な一文ですが、人格すなわち人の生命・身体・自由・名誉・氏名・貞操・信用などは、憲法13条にいう「個人の尊重」という抽象目標の具現化したものに他ならないからです(私見)。

私の感覚では今回の件で成長すべきだったのは新人ではなく配属部署のほうではなかったのかと感じます。

なぜならこのようなロジックがまかり通る場所では、今後もせっかく個人を守るために生まれた(1条)個人情報保護法の精神も発達するはずがないからです。

新人からそれを言い出せるはずがありません。

法律という樹木は、いつも「時代の気分」を少しずつ吸い上げながら形を変えていきます。

そうでなければ法律の木が落とす果実(判例)が社会という土壌にとって有益であるはずがありません。

忘れてはならないのは法の木の土壌とは変化を要求されているあなた自身の職場の空気のことであり、また毎日黙って無理を飲んでいるあなた自身の痛みのことであるということです。

樹木(法律)ができたので、土壌(現実)が困ったという解釈の仕方は当事者意識のあるところからは生まれません。
 

 
法理メール?