靖国参拝「権利侵害ない」 東京地裁、憲法判断せず (産経新聞)
憲法98条をご覧ください。
第98条〔憲法の最高法規性〕 |
現行法や行政処分が憲法に違反していないかを審査する権力のことを違憲立法審査権といいます。この装置は私たちの国では官邸や議事堂には備えられておらず、唯一裁判所にだけに備えることが許されています。
98条で、国の法律の親玉、憲法に逆らう法律や行政行為は無効になるはずですが、その意気込みは行政や立法の外部にある裁判所が官邸や議事堂の行為を憲法に照らして審査することで初めて担保されるからです。
違憲審査のやり方には具体的な争いの解決のついでに憲法判断を行う付随的違憲審査制と、抽象的に特定法や行政行為を取り上げていきなり違憲だ合憲だと断言する抽象的違憲審査制が考えられますが、私たちの裁判所は付随的方法論をとっていると解釈されています。
付随的違憲審査制なら、訴訟でたとえば自衛隊は合憲か違憲かという問題が問われても、ついでの判断が必要なければそれを避けることのできる余地を作りうるからです。
この余地のことを憲法判断回避の原則といいます。
今回の判例もこれが行使されました。
ではなぜ司法最強の依拠基準であるはずの憲法の出動の前に、そういった余地が必要なのでしょう?
これを司法試験の予備校や大学の法学部では「現実社会に即した行政行為や立法の判断をするには、大量の資料やより専門的な業務手順が必要になり、裁判所はそれを保有する行政府の判断に最大限の敬意を払い尊重すべきだからである」と学んだりします。
これを司法消極主義と呼びます。
しかしより本質的な意味で憲法がその出動を自制しなければならない理由とは、「戦わないことで憲法に 98条という玉座を与え続ける」という意外にも観念的な使命にあるものと思われます(私見)。
憲法はその9条で「陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない」と定めていますが、自らを自衛「隊」と名乗る私たちの防衛組織も、海外ではSelf Diffense Force、つまり自衛「軍」とハッキリ呼ばれています。
呼び名はともかく、私たちの防衛組織が保有する大量の戦車や軍艦を前に「あれは陸海空軍その他の戦力には当たらない」とするのは子供が考えても既に無理な規模に成長しているのが現実です。
国を隣国の脅威から守らなければならないという現実論を根にする自衛隊の存在の前に、私たちの最後のガーディアンである現憲法をノコノコ連れてきては、丸裸にされるのは国家権力のほうではなく私たち市民の側である危険性が非常に高く存在します。
私たちが生まれてから死ぬまで、その最後の精神的拠り所となるべく書かれている憲法を、殺されるとわかっている闘技場に連れて行くわけにはいかないのです。
あなたは裁判所が憲法判断を回避したというニュースを聞くたびに、裁判官が保身に走ったような印象をお受けになるかもしれません。
しかし裁判所による憲法判断の濫発で、理論的矛盾が現憲法98条の玉座を破壊し、命の扱いがより軽くなる新国家システムの編成を呼んでしまうくらいなら黙って玉座を磨いているほうがマシなのです。
ドラえもんでさえ、”現実にここに連れてきてみて”といわれるまでは、子供たちに対して社会道徳を教えられる最高の指導原理であり続けられるのです。