耳障りのいいフレーズでお互いを縛ろう

フランス:学生らが駅や高速道路一部占拠、交通機関が混乱
「サン・シャルル駅を占拠する学生ら=ロイター 【パリ福井聡】フランス各地で30日、「初期雇用契約」(CPE)に反対する学生たちが鉄道の駅や高速道路を一部占拠し、交通機関が混乱した。南部マルセイユでは国鉄のサン・シャルル駅を学生200人が占拠し、列車が発車できない状態となった。学生らは北部リール、北東部ダンケルク、北西部ナント、アンジェなどでも高速道路や一般道路の橋を占拠した。」

東京都公安条例の第1条をご覧下さい。

集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例

第1条

「道路その他公共の場所で集会若しくは集団行進を行おうとするとき、又は場所のいかんを問わず集団示威運動を行おうとするときは、東京都公安委員会の許可を受けなければならない(以下略)」 

デモ行進、いわゆる集団示威運動の自由は、固有の思想・信条・意見の表明を多数人が集団示威することで関係内外に強くアピールし、そのことでより乾いた意見を呼び込める点に意義があります(私見)。

現代ではその多くは各地の地方公共団体によって制定されている公安条例が管理し、戦前の治安警察法4条の「届出」よりも文言上厳しくなった「許可」が実行の要件となっています。

現代憲法にも「集団示威運動の自由は保障する」という条文はありません。

それは単に表現の自由の一形態として、憲法21条の保障が及ぶだろうと、学説上考えられているだけです。

最高裁判例公安条例によるデモの規制を合憲としています(許可制は実質上の治安維持法であるという強い批判もあります)。

統治する人達は、デモというものを完全自由にすれば、社会に気づかれざる不満が蔓延している場合、それに気づかせる火種になってしまうことを十分理解しています。

物理的に人が一種の騒動を起こす絵面が、単に文献やインターネット上の論議より大きな波及効果をもたらすのです。

インフォメーション・テクノロジーがどれほど進展しようとも、デモ行進のそうした真価は未だ失われることはなく、人権を発見した土地、フランスだからこそ今も身体レベルでそのことが理解されているのだといえるでしょう。

わたしやあなたの暮らす国でデモが許可制になり、それが活発に用いられなくなってから数十年が立ちました。

かくいう私もそういったものには参加した経験がありません。

しかしながら、いつのまにかガラガラを与えられて機嫌良くさせられているだけではないのか、確認する手立ては残されています。

他人の言葉を捨て、自分の感情に耳を傾けることだけは、今のところ誰にも許可を得る必要はないからです。