宝刀でリンゴの皮をむけ

「落書き」を使ったソニーの『PSP』広告が不評(livedoor)
ソニーの音楽CDが、セキュリティーホールを開くスパイウェアを顧客のコンピューターに感染させたというニュース(日本語版記事)が広く報じられたのはつい先日のことだが、PSPのための今回のキャンペーンは、ストリートアートの評判を金で買う試みだとして、インターネット上で物笑いの種になっている。」

国際人権規約、そのB規約第19条2項をご覧下さい。

市民的及び政治的権利に関する国際規約

弟19条

「2 すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。」 

国際人権規約は、国際的な人権の保障をするためのもっとも根幹を担う条約です。

それには経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、通称A規約と、市民的及び政治的権利に関する国際規約、通称B規約があります。

およそ法律というものは自由的欲求と社会的欲求のバランスによってカタチをなすものですが、両条約はこれら相分かちがたい二方向の人権が、各々の国の都合によって変形させられぬよう、締結国上に張りめぐらされた条約です。

そしてB規約は主に自由権マズロー欲求段階説風にいえば、自我の欲求段階、あるいは自己実現の欲求段階を満たすための精神活動体としての個人の自由を、各国家権力に要求しています。

大切なことを考えたり、それを文章やグラフィックで表現したりすることはこれまで必ずしも時の統治機構に都合のいい物ばかりを揃えてこなかったため、どの時代、どの場所にあっても迫害にあいやすかった世界的な歴史があるからです。

わたしたちの国の憲法においてそれは精神的自由権と呼ばれますが、それが日展に出品される日本画であろうとも、スプレー缶によるストリート・アートであろうとも、わたしたちの精神活動そのものは一律に権力から干渉・抑圧されない枠組みが用意されていること自体に意義があります(私見)。

もしそれがなければ、分断されたアイディアを前にわたしたちにいつまでも創発は起こらず、人は永遠に新しいフレームワークを手に入れることができないただ生まれて死ぬだけの存在に成り下がってしまうからです。

アメリカの中でもより精神的に自由な風土の地、かつてのフラワーチルドレンの根城であるサンフランシスコで、ソニーがストリートに展開したバズ・マーケティングは失敗に終わったようです。

それはあたかも目の前に良く切れる刃物があったからといって宝刀でリンゴの皮をむいてしまったお父さんのように、表現が自由である意義とそのプライドを軽視するビジネス・スタイルに対して、街のほうでも企業へ軽視した評価を返したという、極自然のバランスのとられ方だったようです。


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