監査法人の意義と生存というアンチノミー

「他行だましてでも」 中央青山会計士が足利銀に助言朝日新聞
中央青山監査法人公認会計士が00年、監査を担当していた足利銀行に対し、破綻が懸念される大口融資先への対応を検討する会議で「他行を騙しても当行の貸金を減らすこと」と助言した――と足利銀行の内部資料に記録されていることがわかった。」

商法の200条第1項をご覧下さい。

第200条〔株主の責任〕

「株主の責任は其の有する株式の引受価額を限度とす」 

株式会社とは、株式という制度を採用し、それを所有する株主の責任を有限にした、お金集めのための大発明のことです。

株式会社では株主は各人が株式の引受価額の範囲内で出資をする義務を負うだけで、会社が取引した債権者に対して株主は特に責任を負う必要はありません。

そういう仕組みを考えついたことで、それほどの大金をもたない人達も会社というお金儲けのチャンスに参加できるようになり、その結果社会中から大量のお金が集まることになりました。

株式会社というアイディアが発明されたことで、集まったお金がまたお金を生むという、お金の自己増殖本能が存分に発揮されるようになったのです。

しかしビジネスを起こす人達にしてみれば結構づくめな株式会社というアイディアも、取引相手として財産をやりとりする債権者にしてみれば、一面恐ろしい制度であるともいえます。

「借りたものは返せ」というお金の大原則が、株式会社の株主には免除されているからです。

株主は有限責任であり、会社がどれほどの借金を抱えて倒産しようとも出資金以上のおカネを支払う義務がなく、そのため株式会社がいざ倒産すれば、債権者は急いで会社に乗り込んで、せいぜいテーブルやら椅子やらをわけあうくらいしか回収方法がありません。

(そして普通その場合、土地などの資産は残らず処分され終わっています。)

つまり株式会社は経済発展のための、「必要的落とし穴」とでもいえそうな存在です(私説)。

昭和 30年代の終わり、公認会計士が虚偽の監査証明をしていた事例が頻発したため、公認会計士が株式会社の茶坊主になることを防ごうと独立性を強めるため昭和 41年に新設されたのが監査法人でした。

しかしそれにもかかわらず、株式会社の歴史は計画倒産粉飾決算などの持病を未だに克服できていません。

今回も名門と呼ばれる監査法人が、会社という責任が実質上所在しない落とし穴の蓋を上手く盛る指南をしたといいます。

株式会社はあたかも跳び箱に置ける踏切板のように、大量の資金をあつめてビジネスをジャンプさせますが、踏切板は、たとえジャンプをする人が跳び箱を跳べなくても一切の責任を負いません。

しかしジャンパーがそれを納得するためには、少なくとも踏切板のバネや板の性能が正直に表示されていることが必要であり、監査法人は、そのバネの強度や板の強度を公正に数字上で表現する仕事を担います。

株式会社という一面危険なアイディアのネガフィルムのように、監査法人は給料は踏切板から、存在意義はジャンパーから与えられるというアンチノミアを最初からずっと抱えさせられています。
 


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