象徴という言葉の効能

堀江貴文社長:『天皇は日本の象徴』に違和感、大統領制に(毎日新聞)
堀江貴文社長は6日、東京都内の日本外国特派員協会で講演し、天皇制について「憲法が『天皇は日本の象徴である』というところから始まるのには違和感がある。歴代の首相や内閣が(象徴天皇制を)何も変えようとしないのは多分、右翼の人たちが怖いから」などと指摘した。」

憲法の第1条をご覧下さい。

第1条〔天皇の地位,国民主権

天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。」 

スペインの無敵艦隊を破りイギリスを世界の一流国にのし上げたエリザベス一世が死ぬと、子供のいなかった女王の跡を継がせるため、スコットランドの王、ジェームス一世がイギリス国王として招かれました。

ところが当時のスコットランドは国王の権力が非常に強い国だったため、ジェームス一世はイギリスの議会に全く興味をしめさず、それどころか「自分は神にしか従わない」と議会に対して宣言しました。

ジェームス一世が死んでその子供チャールズ一世の時代となっても、議会の無視は続いたため、いよいよ王の軍隊と議会の軍隊が衝突しましたが、このとき議会側の軍隊を率いたのがオリバー・クロムウェルです。

議会の軍隊は勝利を収め、王チャールズ一世の首は血しぶきを上げてはねとばされました。

王の首が飛ぶのを目撃した自由になったはずの市民たちは、処刑場で声にならない声を漏らしたといいます(映画 クロムウェルに詳しく描写されています)。

そしていよいよ王政は倒され、自由な国家体制がイギリスで始まるはずだったのですが、クロムウェルは反対派を厳しく弾圧、自身は護国卿を名乗り議会を解散、なんと独裁政治を始めてしまいました。

そして王を殺した男とその息子による独裁は、国民がうんざりして新たな王をオランダから迎えるまでずっと続いたのです。

わたしやあなたの住むこの国の根本原理、憲法の第一条には「天皇はシンボルです」と、一見よくわからない記述が書いてありますが、法学上はこれを「天皇にはシンボル以上の権力が与えられていない」と読むことになっています。

それは戦争に負けたわたしたちが、国民主権原理を採用したことを裏側から宣言し、権力にフタをしている一文です。

現在の憲法の1条は、「どんな権力でさえ『天皇』の名によっては正当化されない」と読むことで自由への追求可能性と、無用な喪失感の回避を同時に確保するもので、それこそが「象徴」という文言の意義、効用だと考えられます(私見)。

時代の改革児、ホリエモンさんが1条をいかにも素読みしている点はあっさりしていて頼もしくもあるのですが、敗戦当時、松本委員会の執拗な働きかけもあり、GHQ天皇制の維持を決定したのも、国王の首を切り落としたクロムウェルがもたらしたイギリスの混乱の歴史を踏まえているのかもしれません。

人の歴史とは、極言すれば市民が自由を求めて戦ってきた歴史のことでもありますが、エーリッヒ・フロムも「自由からの逃走」で描いたように、市民とは必ずしも自由に対して常に合理的な選択をする存在ではなく、同時に強烈に王を求める属性を備えており、一刀両断にその選択を「罪だ」と言い切ることはできません。

英国やスペイン、オランダ、デンマークなど君主制を採用している国家が世界に現在約50ヶ国存在しているからです。

王政を採用している国々を眺むれば、その選択は市民にとって自由の追求とはまた別の次元の選択であることも物語っています。

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