名前という勾玉と戸籍法の起源

自分の気に入らぬ「名前」をネット競売に出品、米男性(CNN)

戸籍法107条の2をご覧ください。

第107条の2〔名の変更〕

「正当な事由によつて名を変更しようとする者は、家庭裁判所の許可を得て、その旨を届け出なければならない」

やむを得ない事情があるとき、戸籍法は107条によって姓を、107条の2によって名を変える糸口を私たちに与えています。

氏名という個人識別インデックスは時に人をどこまでも追跡しますので、107条関係は固有の氏名を維持することが個人の尊厳という憲法の原理を脅かすまで有害になれば家庭裁判所はこれから開放することが憲法の趣旨に資すると判断した趣旨だと考えられます。

戸籍という日本・台湾・韓国にしかない制度は1300年ほど前に生まれたといいます(台湾・韓国はかつて日本が統治していた事実に注意が必要です)。

班田収受の法という、農民に田畑を分け与える代わりに日本全国統一の制度としては初めて税を負担させることになった法律が、個々人にインデックスを貼り付ける契機になりました。

つまりその起源において客体は被統治者であり、その証左に天皇には今も戸籍がありません。

そのため廃止要望論も根強くあります。

戸籍で扱われる「名前」は一方で、個人にとってE.H.エリクソンのいうアイデンティティを喚起するための重要な勾玉です。

あなたは人に名前を呼んでもらうと自分という存在を再確認できるため気分が良くなります。

名前には重要な内心的効果が封じ込められており、その変更にはよくよくの熟慮が必要ですが、法律的にはその道が設けられているのが適切です。 

あらゆる法は憲法に逆らうことを許されず、現在の戸籍法(昭和23年施行)もいたずらに管理する面ばかりが強調されてはいません。

107条関係の設置はその証とみることもできます。

(もしより支配的な法であれば絶対にインデックスの変更を認めなかったでしょう。)

「個人の尊厳」という法原理は、管理的側面の強い戸籍法の中に、その趣旨にそぐわない規定まで置かせるほどの重用を要請しているのです(私見)。



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