うさぎを深追いして猟師は血塗れになった

酒井法子まさか不起訴?検事が起訴したがらないワケ(iza)

厚生労働省関東信越厚生局麻薬取締部は「使用を立証するには尿検査が一番の決め手」と話す。警視庁によると、吸引に使っていたとみられるパイプやストローの付着物のDNA型が酒井容疑者の型と一致した。しかし、DNA鑑定や毛髪鑑定では使用の時期が特定できず、公判維持は難しいという見方も。」

刑事訴訟法の256条2項をご覧下さい

第二百五十六条  
2  起訴状には、左の事項を記載しなければならない。
一  被告人の氏名その他被告人を特定するに足りる事項
二  公訴事実
三  罪名

わたしたちの刑事訴訟法は、検察が裁判所に審判の対象を限定し、被告人に対して防御の範囲を明示するために訴因の特定を要求しています(256条2項)

そしてもし訴因が特定性を欠くときは、裁判所は338条4号に基づいて公訴棄却判決を言い渡さなければなりません

訴因とは検察官が起訴状で審判を請求した犯罪事実を表示したものです

それをはっきり示されることで、被告人はその点についてだけ防御を行うことに集中できます

つまり訴因は当事者の攻撃・防御の対象なので、犯罪の日時や場所、方法をもって、できる限り特定して明示しなくてはならないのです

それがなければ、わたしやあなたが身に覚えのない罪を突きつけられ、壇上に並んだ裁判官と検察官によって裁かれる時代が再び戻ってくるかもしれません

つまり「日時はAでもBでもないけれど、ストローに付着痕跡があったので被告人が過去のいつかの日に使ったのは間違いない」と検察官が主張したとしても裁判所がこれを棄却することが、司法制度に一定の安全弁を装着しているとも言い換えられます

 
しかしながらわたしやあなたはいつもこうした司法の安全弁作用を目の前にするといつも不条理感に苛まれます

「それでも彼女はやったといっているのではないか」と

その通り、時に現司法は反社会的行為をその両手から意識的にこぼしてしまします

逆に言えば、司法にその両の手をより頑なに絞ることを許し始めたとき、わたしやあなたはまた大切な保障装置のひとつを手放すことになるのです

 

 

砦は彼を無罪とし、わたしたちはその仕組みに同意した

羽賀研二さん無罪 求められる「緻密な捜査手法」(産経ニュース)

「最大の争点は、羽賀さんが未公開株を取得した額が1株40万円だったことを被害者が認識していたか否かだった。公判で羽賀さんが「40万円と伝えた」といえば、被害者は「聞いていない」と応酬した。水掛け論に決着を付ける決め手になったのは、羽賀さんの知人の男性歯科医という“第三者”の証言だった。歯科医は、結審後に異例の形で再開された法廷で「被害者と同席した場で羽賀さんから取得額を聞いた」と証言。これに反論する検察側の根拠は被害者証言しかなく、被害を裏付ける客観的な証人を用意できなかった。」


刑事訴訟法の313条第1項をご覧下さい。

第313条〔弁論の分離・併合・再開〕

「裁判所は、適当と認めるときは、検察官、被告人若しくは弁護人の請求により又は職権で、決定を以て、弁論を分離し若しくは併合し、又は終結した弁論を再開することができる。 」

 

刑事裁判上、証拠調べが終わった次は、当事者の意見陳述がなされることになっています。

これを弁論といいます。

この弁論はまず検察官が事実、法律の適用について意見を陳述します。

これを論告といいます。

そして通常、検察官は論告に際して具体的な刑の量定についても意見をのべます。

これが求刑です。

ついで、被告人および弁護人も意見をのべることができます。

これが最終弁論であり、被告人および弁護人には最終に陳述する機会が与えられています。

これを最終陳述権の保障といいます。

普通、先に弁護人が弁論してから、被告人が最終陳述をなしています。

これらの手続が終わると、弁論(公判の審理)は終結することになります。

これが結審です。

後は、判決の宣告を残すだけです。

ただし例外的に終結した弁論が再開されることもあります。

これが313条第1項、弁論の再開です。

弁論の再開によって公判手続は弁論終結前の状態に戻り、先の弁論と一体となります。

したがって一旦弁論が終結したとしても、判決言渡しまでは事実審理の可能性があるわけです。

弁論の再開は、通常従前の主張立証が不備であったり弁論終結後に新たな事情が生じた場合などにおいて、裁判所の裁量により行なわれます。

「判決言渡しの時こそ事実審理の可能性のある最後の時である」というのが、313条1項が示す法意だからです。(札幌高等裁判所 昭和28年11月19日判例)

それは、人が人を裁くという無理をするときには、極限まで時間を使って彼の行為を吟味しようというのが、人権の最後の砦である裁判所の採るべき態度だからだともいえます(私見)

 

有名なタレントさんの詐欺容疑は、再開された弁論における証拠調によって無罪判断が下されました。

そこには裁判所に弁論の再開を決定させるほどの特別な証拠の出現が主張があったにちがいなく、同時に証人尋問の証拠調に対して保証されている293条、意見陳述の機会を、検察は生かし切ることができなかったからにほかなりません。

戦前、検察官は裁判官と同じ高さの壇上から被告人を見下して裁判に参加していました。

しかしながら、現在の私やあなたは検察官と弁護人を対等の高さに立たせ、その主張の総括を裁判所にゆだねる仕組みに同意しながら暮らしています。

 

(以上参照資料)

定期借家契約というリーガル・セックスアピール

1万人が怒りの声を上げた『ベルク』立ち退き騒動とは?(日刊サイゾー)
「ルミネ側が提示した新しい契約とは、一定の契約期間が満了すれば貸主がテナントを自由に入れ替えられる「定期借家契約」と呼ばれるもの。それまでの賃貸借契約では、特別な事由がない限り、貸主が契約更新を拒否することはできなかったが、不動産、とりわけショッピングセンター業界の強い希望に応えるかたちで00年に行われた借家借地法の改正により可能になった契約形式だ。まだ一般にはあまり周知されておらず、実際、それを知らずに定期借家契約に結び直した結果、契約の更新はもちろん、再契約できずに、泣く泣くビルから出て行った店もあるという。事前にそうした話を耳にしていたベルクが、ルミネ側から求められた契約の変更を拒否し続けたところ、立ち退きを求められた──というのがコトの経緯だ。」

 

1999年の米国政府による規制改革要望書、住宅項目1-Aをご覧下さい。


日本における規制撤廃、競争政策、透明性及びその他の政府慣行に関する日本政府への米国政府要望書

住宅

1.土地利用政策

「1-A

日本は、2000年12月31日までに、定期借家制度を導入するために、借地借家法を改正するべきである。改正の内容には、自動的建物賃貸借契約の 更新の廃止(第26条)、建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件における「正当の事由」の廃止(第28条)、借賃増減請求権の廃止(第32条)が含まれる。」

 

平成11年末、「良質な賃貸住宅等の供給の促進に関する特別措置法」、通称定期借家法が成立しました。

そしてその定期借家法の成立を受け、借地借家法38条は次のとおり改められました。

「第38条

期間の定めがある建物の賃貸借をする場合においては、公正証書による等書面によって契約をするときに限り、第30条の規定にかかわらず、契約の更新がないこととする旨を定めることができる。この場合には、第29条第1項の規定を適用しない。」

ここで無効にされている30条、29条とは、賃借人を保護しようとする条文です。

それまでの旧借地借家法によれば、借家人は正当な事由がなければその契約継続を打ち切られることはありませんでした。

いわゆる正当事由借家契約と呼ばれるものです。

しかし新38条の登場で、借地借家法には「期間が終われば問答無用で明け渡す」定期賃貸借という新しい契約形態がはめ込まれることになりました。

ところでそもそもなぜ、米国不動産賃貸借における estate for years、すなわち年次賃借契約のような非常にドライな不動産契約類型が、それまで借家人保護志向型であったはずの旧来の借地借家法へ挿入されることになったのでしょうか。

もちろんひとつには、旧借借法の賃借人保護精神を逆手にとった、不道徳な賃借人が居座る不健全な状況を改善できるという面が指摘されています。

しかしながら別の角度からはっきり見えるのは、賃貸借契約の終了時期がはっきり読めることによって借家の修繕、改築という建築産業や、賃貸不動産に投資する投資家達にとって、物件を数字として読める予測可能性を彫り込むことに成功しているという点です。

実際、米国通商代表部が2000年に発表した公文書、「外国貿易障壁報告」には、次のような記述があります。

「1999年10月の日本に対する規制改革要望書で、住宅に関する米国の提案は、質の高い賃貸住宅および中古住宅・改築市場の発展を妨げる法律、政策、手続きに焦点を合わせた。こうした構造的な欠点を是正することにより、日本の住宅市場は大きく拡大し、米国の供給業者にとって新たなビジネスチャンスが生まれる。例えば、米国は、日本が賃貸借に関する法律を見直すことにより、家主が物件を保守・管理・改修する金銭的誘因を提供することを提案した。これを受けて日本は借地借家法を改正し、建物賃貸借契約の自動更新を廃止し、賃借人が退去要請や賃貸料値上げに抵抗する権利を制限した。2000年3月1日に発効したこれらの改正により、日本は初めて質の高い賃貸住宅市場を整備し、家族向け住宅の選択肢を拡大し、国内外の建築業者・供給業者に対し膨大な機会を創出することが可能となる。」

冒頭にある「規制改革要望書」とは、米国政府が毎年10月公式に通達する意思表示であり、そこには各産業の分野ごとの日本政府に対する改革要求が並べられています。

そしてその1999年度版では、住宅の項目1-Aにおいて、旧借地借家法の条文まで指定して日本へ期日内での定期借家制度の導入を確かに要求しています。

顧みれば実際、2000年3月をもって借地借家法は木材供給産業にとってよりセクシーな形に改正されてたのだというわけです。

これらは関岡英之氏が著作「拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる (文春新書) 」のなかで、各産業の規制撤廃の背景には、米国政府から日本政府へ要求される「年次改革要望書」がまずあるのだと、指摘しているところです。

 

定期借家契約という新制度は、それまで与えられなかった強いイニシアティブを賃貸人側に与えるものであり、確かにそれによって、旧来の借地借家法では解決できなかった諸問題を一掃できることは間違い在りません。

しかしながらたとえば、旧来の正当事由借家から定期借家への切り替えが行われる場合に、その事情をよく理解できない賃借人が、新しい法的立場を理解できないまま定期借家契約に入ることも十分予測されています。

そしてそれは、法律行為としてとてもアンフェアです。

実際、定期借家法附則3条が、居住する借家ではこの切り替え自体を「当分の間」認めないとしています。

ただし事業用借家においては、このブレーキが効いていません。

新宿の小さなビア&カフェ、ベルクが「定期借家契約」という、家主の立場が強烈に強くなる契約を面前に困窮しているのは、こうした法改正が背景にあるといえます。

いや正確にいえば、小さなカフェが困窮している真の背景とは、グローバルスタンダードという名の大きな津波を見つめるわたしたち自身の態度にあるのかもしれません。

いずれにせよたとえ事業用の借家であっても、ビジネスだからしょうがないとしてしまえるかどうかは、わたしたち自身の頭でよく考える必要があります。

もし法廷で争われたなら、「事業者に突然もたらされるその不利益を補完するものが借主から与えられない限り、契約の切り替えは発生しないのだ」という法的解釈さえ可能だからです。

実際、弁護士・ニューヨーク州弁護士である小澤英明氏も、論文「定期借家法に関する考察」において以下のような憂慮をされています。

「・・・なお、心配なことがある。それは、零細な店舗賃貸借である。特に日本の場合は、徒歩による客が多くを占める店舗が今なお多いから、代替店舗を容易には探せないという問題があると思う。私の経験では、住宅よりも店舗で賃貸借の終了が深刻な問題となる。継続的取引関係解消の法理は定期借家に安易に適用されるべきではないが、店舗の場合は、顧客拡大に長年その場所で投資しているという側面があるため、長期の賃貸借を終了させる場合は、6か月前の通知というのでなく、もっと長期の事前通知を規定すべきではないかと考える。このことも旧案を見た段階で私は主張したが顧みられなかった。」(定期借家法ガイダンス―自由な契約の世界へ

つまりここでは、より長期の事前通知という保護措置が提案されています。

いかに一方で契約自由、言い換えれば自由経済の要請が高かろうとも、他方でジェレミ・ベンサムいうところの「最大多数の最大幸福」もまた、未だバランスをとるべき重要な法益であるはずです。

むしろ確か、法哲学とはそうした利益衡量のために発達してきた技術論だったはずです。

衡量という視点から見れば、剥き出しの賃貸人保護を推し進めていくことが、それほど社会に最大幸福をもたらそうとは考えられません。

それまで日本の不動産契約では、問題解決は互いの良識に任せる部分が大きく機能してきたはずです。

だからこそというべきか、定期借家法という黒船は日本全体のそうした部分に対して、今後完全な契約社会型の行動を要求する布石となっていきそうです。

小規模な店舗を賃借する人がその大波を防壁するには、契約の更改に際して仲介会社や弁護士に協力を乞うなど、冷静な対応策が新たに要求されることになってきます。

いまやわたしやあなたは、やがて知ることになる「完全に契約自由な社会」の味が、砂の味ではないことを祈るしかありません。

 

乖離という脱出ポッドに乗って、彼女は帰らない旅に出た

損害賠償提訴:福岡の中3女子「小学担任の暴言で障害に」(毎日新聞)
「4日付の訴状などによると、担任の女性教諭は生徒が小学5年だった04年4月以降「口の開け方がおかしい」「トロい」などの発言を繰り返した。生徒は同年2月に、てんかんと診断され投薬を受けていた。同年5月、生徒は両親に「学校に行きたくない」と言い始め、多くを語らなかったが、同級生から「(担任から)いじめを受けている」と言われ発覚した。母親が教諭に尋ねると「そんなことはない。口の開け方の指導に力を入れていた」と反論。しかしその後も同様の発言は続き、生徒はストレスで目が見えなくなったり耳が聞こえにくくなったりし、一時不登校になった。中学入学後もいじめを受け、学校が適切に対応しないため今年1月、特別支援学校に転校した。」

 

民法の710条をご覧下さい。

第710条(財産以外の損害の賠償)

「他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。 」 

 

あなたやわたしは、生まれたときからまわりにいる人たちとの境界線を明確にしようと奮闘してきました。

それはいわゆるアイデンティティの構築という行為です。

しかしながら、もし感情的に強烈な痛みが与えられたとき、わたしやあなたがそう望むなら心は痛みから逃れるために自らアイデンティティの一部を時に放棄することがあります。

これが「解離性障害」と呼ばれる状態なのだそうです。

いいかえれば解離性障害は、自己アイデンティティの連続性を自ら破壊することと引き替えに、耐え難い苦痛から逃れようとする極限の選択だといえます。

長い時間かけて形作っていくはずの自我を放棄させる解離性障害の契機として、得てしてトラウマのような苛烈な体験が見つかるのはそのためです。

 

ところで民法710条にいう「財産以外の損害」、つまり非財産的損害とは、言葉を変えれば、精神的損害、すなわち違法な行為で生じる精神的な苦痛であり、その賠償は、普通、「慰謝料」と呼ばれます。

実は精神的苦痛に対しても加害者に賠償責任を認めるべきかどうかは、ドイツ民法の制定当時に争われた重大な問題でした。

なぜならば精神的苦痛の賠償は、よくよくその構造を観察すればそこに復讐観念を含むものであり、刑事責任より分化した民事責任からは排斥されるべきものだという主張が有力になされたからです。

他方、個人の人格的利益もまた法律の保護を受けるべきものであるとの主張もなされ、ドイツ民法では両説を折衷し、精神的損害の賠償は法律に明文のある場合にのみこれを認めるべきものとし、身体・健康・自由および女性の貞操侵害に対してのみ、精神的損害の賠償をするべきものとしています。

一方、わたしやあなたの暮らすここ日本の民法では、710条によって財産権の侵害であるか人格権の侵害であるかを問わず、加害者は、これによって生じた精神的損害を賠償するべきものと定めています。

いかに民事責任といえども、その加害行為の社会的影響と無関係にその内容を定めうるものではなく、したがって国民感情が加害行為より生じる精神的損害に対する賠償を要求するならば、その範囲においてその賠償貴任を認めることが正当とされなければならないという解釈がなされたゆえです。(以上参照:我妻・有泉コンメンタール民法 第2版―総則・物権・債権

 

女性教師は児童に対して与えられた一定の権力をルーティン・ワークのうちに拡大解釈し、一人の子供の心を乖離の向こう側へ追いやってしまいました。

そしてもとよりわたしたちは民法というルールブックにおいて、「精神に対する不法な行為も、お前には責任を負わせる」のだと、710条をもってあらかじめ宣言しています。

 

 

NPO:美しく細い指

山口県市長会、互助年金法人解散へ(NIKKEI NET)

山口県下の13市の元職員の退職金などを運用する財団法人「山口県都市職員互助会」が行う互助年金給付事業について、山口県市長会(会長・末岡泰義光市長)は、「公益法人事業になじまない」と判断し、同法人を解散する方針を固めた。来年8月に開く理事会で解散を決議し、2010年2月までに清算手続きを終了する。12月に始まる公益法人制度改革を前に、都道府県認可の社団、財団法人のリストラが本格化しそうだ。これまで、財団法人などの設立許可や公益性の判断は、主務官庁の自由裁量に委ねてきた。しかし、今年12月1日に施行される「公益法人制度改革三法」により、民間の有識者委員会が「不特定かつ多数の者の利益」の観点で公益性の有無を審査する。新制度への移行を前に市長会は、「財団は特定者の資金運用を手掛けており、存続が困難」と自主的に判断。2つの金融機関との運用契約を解除し、解散する。 」


公益法人認定法の第二条四号をごらんください。

 

公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律

第二条(定義)

「この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。

四  公益目的事業 学術、技芸、慈善その他の公益に関する別表各号に掲げる種類の事業であって、不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与するものをいう。」


わたしたちの暮らす社会では、ますます価値観が多様化し、行政や一般企業では解決に手の届かない問題が数多く取り残されています。

そこでより柔軟な対応を提供できる存在として、民間非営利部門、いわゆるNPOの役割がますます認識を重くされています。

かつての民法34条は、公益法人の官庁による許可制度を定めていましたが、判断基準の不明確などに批判がなされていました。

そこで民法の制度を改め、行政が民間有識者からなる合議制の機関の意見に基づき、その公益性を認定するとともに、認定を受けた法人の監督を行う制度を創設し、民間部門での公益的活動をもっと促進しようということになりました。

これが公益法人認定法です。

そしていったん公益法人と認定がなされれば、社会的な信用が獲得され寄付等の支援が受けやすくなるばかりか、法58条によって税制上の優遇措置の適用を受けることができるようになります。

このような特例措置が適用されるため、公益法人認定法は公的目的事業を、「学術、技芸、慈善その他の公益に関する別表各号に掲げる種類の事業であって、不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与するもの」と定義しているというわけです。

このあたらしい秤を用いれば、”市の元職員の退職金などを運用する財団法人”では、この判断の範疇外となってしまうことになったわけです。

新しい基準を前にして戸惑っているのは行政機関も同じようですが、NPOという機能をわたしやあなたの社会に根付かせるためのシンポジウムも用意されています。

 

行政の太い指は、時に狭い隙間や難しい角度で救済を待っている問題までは、届かない場合があります。

そして今、公益法人という新しい社会実験が、新法の手厚い加護を用意され、たくさんの救済を待つ隙間へその指を伸ばそうをしています。

(参照:一問一答 公益法人関連三法





サクリファイス:魔女が寝ようと誘う

野田消費者相もマルチ擁護 「勉強不足」と釈明
「平成8年4月、訪問販売法改正について、素朴な疑問を持ち国会質問した。「マルチはすべて駄目だ」と、これに基づいた動きが出ていると懸念を感じた。12年前にも訪問販売や連鎖取引はあり、私も商品を買ったことがある。現実にあるものをすべてなくすのが可能かとの疑問の中で、いくつか質問した。被害に遭った消費者が現実に救われる方法、例えばクーリングオフをしっかり担保することを(質問で)申し上げた。」

特定商取引法の33条1項をごらんください。

第33条(連鎖販売取引の定義)

「この章並びに第66条第1項及び第67条第1項において「連鎖販売業」とは、物品の販売又は有償で行う役務の提供の事業であつて、販売の目的物たる物品の再販売、受託販売若しくは販売のあつせんをする者又は同種役務の提供若しくはその役務の提供のあつせんをする者を特定利益を収受し得ることをもつ て誘引し、その者と特定負担を伴うその商品の販売若しくはそのあつせん又は同種役務の提供若しくはその役務の提供のあつせんに係る取引をするものをいう。」

 

(以下参照:特定商取引法ハンドブック第3版 日本評論社より)

マルチ商法は、かつて昭和51年12月3日に施行された「訪問販売等に関する法律」により、また現行法では特定商取引に関する法律33条1項により、連鎖販売業・連鎖販売取 引と定義され、その勧誘方法等に関する規制を受けています。

マルチ商法は、その共通する基本構造として、次のような特徴が指摘されています。

「① 販売員は通常給料を得て販売業者のために仕事をするが、このシステムでは、それまで商売・事業の知識経験のない一般消費者を商人という形態で取り込む。

② 加入者をいくつかのレベルに区分して、上級のレベルほどその資格を取得する負担を大きくする反面、利益を大きくする。

③ 加入者の利益の源泉として、商品流通による中間マージンのほかに、新たな加入者を増やすこと、あるいは、配下の加入者を上のレベルに昇格させること(いずれもリクルートと呼ばれる)により、多額の利益を得られることを強調する。」

そしてこの③がマルチの最大の特徴であり、商品流通による中間マージンよりもリクルートによる利益の方が多くなるような仕組みにして、新規加入者をリクルートする時のセールス・ポイントにしています。

法がねずみ講マルチ商法を禁止ないしは警戒するのは、そもそもそのシステムに参加する人が無限に増加していかないと、その参加者の投下した金額を回収できないという共通の構造をもっているがゆえです。

その計算によれば、仮に1日に2人ずつ参加させていくとすれば、28日目には日本の全人口を上回る人を新たに参加させなければならないことになります。

つまりこのような組織においては、リクルートの無限の維持拡大が組織存立の根本条件をなしており、それがゆえに射倖性、賭博性をもって勧誘がしばしば人的関係で行われ、この組織の開設、運営を認めてしまうと、(内包する破綻の必然を隠匿した)詐欺的勧誘がなされざるをえないことになります。

特定商取引法は”乗れば乗るほど先に乗った乗客が儲かるらしい”という熱狂に誘われて、沈むことが約束された船へ乗客が押し寄せる悲劇を繰り返させないため、33条から40条まででマルチ商法をはっきりと規制しています。

 

わたしたちは社会に出て、誰しも組織の一員として人に使われているうちは、なかなか思うように蓄財をなすことができないようだと悟ります。

しかしながらまた、巷にあふれる起業の本がいうほど、簡単には事業のアイディアを思いつけないことも、また易々とそれを実行に移せないことも疲れた体で知ることにもなります。

もしそうだとしてもその間隙を埋めるものが、大切な人間関係を焼き払うマルチ商法という方法論にしか見いだせないのだとしたら、わたしたちはあまりにも自分という存在を安く見下しすぎているのではないか。

法33条はあたかもそうした忠告を遠からず送っているかのようです。

 

 

フリースクールを法律が見つめる間に、子供達は二度溺れた

経営者「18歳未満いない」とウソ、調査逃れる 京都フリースクール暴行(iza)

京都府京丹波町フリースクール丹波ナチュラルスクール」で入所者の少女(14)が虐待された事件で、昨年10月下旬に入所者の少年が脱走したのをきっかけに児童相談所が調査に入った際、経営者の朴聖烈容疑者(60)らが「18歳未満の入所者はいない」とうそをついて実態把握を逃れていたことが10日、府警捜査1課の調べでわかった。」

 

文部省初等中等教育局長通知第三三〇号別記の2(二)をごらんください。

(別記)

登校拒否児童生徒が学校外の公的機関や民間施設において相談・指導を受けている場合の指導要録上の出欠の取扱いについて

「2 出席扱いの要件

登校拒否児童生徒が学校外の施設において相談・指導を受けるとき、左記の要件を満たすとともに、当該施設への通所又は入所が学校への復帰を前提と し、かつ、登校拒否児童生徒の自立を助けるうえで有効・適切であると判断される場合に、校長は指導要録上出席扱いとすることができる。

(二) 当該施設は、教育委員会等が設置する適応指導教室等の公的機関とするが、公的機関での指導の機会が得られないあるいは公的機関に通うことが 困難な場合で本人や保護者の希望もあり適切と判断される場合は、民間の相談・指導施設も考慮されてよいこと。ただし、民間施設における相談・指導が個々の 児童生徒にとって適切であるかどうかについては、校長が、設置者である教育委員会と十分な連携をとって判断するものとすること。このため、学校及び教育委 員会においては、学校不適応対策調査研究協力者会議報告(平成四年三月一三日)に別記として掲げられている「民間施設についてのガイドライン(試案)」を 参考として、前記判断を行う際の何らかの目安を設けておくことが望ましいこと。」

 

 

わたしたちの憲法第26条第2項は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と定め、”親”の就学義務を明記しています。

しかしながら教育の義務というのはあくまで親の義務であり、子供自身が学校へ不登校となったからといって、それが違法行為を犯していることにはなりません。

そもそもそれは子供達自身の制度であるからです。

よって子供が授業に出席する義務が履行を直接強制されるようなことはなく、また罰則で間接的に強制されることすらありません。

そこで不登校生徒を対象にした学校外施設として、いわゆるフリースクールが増加してきました。

フリースクールには法律がないとよくいわれますが、実は平成四年九月二四日、”通知”という現文部科学省による準法律行為的行政行為が発せられています。

それは「登校拒否問題が深刻化していることに鑑み、登校拒否児童生徒が学校外の公的機関や民間施設において相談・指導を受訪けている場合には、指導要録上出席の取扱いをすること」という各都道府県教育委員会教育長へあてた内容です。

これが文初中通知、第三三〇号です。

その趣旨は、学校復帰への懸命の努力を続ける子供の努力を学校として評価し支援するため、我が国の義務教育制度を前提としつつ、一定の要件を満たす場合に、これら施設において相談・指導を受けた日数を指導要録上出席扱いとすることができることとするものです。

ところで出席扱いとするための要件ですが、(一)学校と親がよく連絡をとること、(二)民間施設の指導が適切かどうかは校長が判断すること、(三)施設への通所又は入所を前提とすることを要求しています。

今回のニュースになったような、フリースクールの悲惨な暴走は、まさに出席扱いのために旧文部省が要求した追記要件の(一)(二)を、大人達が正常に機能させられなかった結果にほかなりません。

そしてもし、フリースクールという本来素晴らしい器を、わたしやあなたが法で上手く手当しないままながめ続けるのだとしたら、学校という制度に絶望した子供達への二度目の裏切りを渡すことになります。