ちびくろさんぼと持病への自覚

ちびくろ・さんぼ復刊へ 東京の出版社が4月に(日経新聞)

国際人権規約第2条第1項をご覧ください。

第2条(人権実現の義務)

「1 この規約の各締約国は、その領城内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを約束する。」

拘束力のなかった世界人権宣言を推し進め、加盟国に対する法的拘束力を認めたのが国際人権規約です。

世界人権宣言が約60年も前に採択されていることを考えますと、いかにこの問題が討議によっては解決しがたい要素を含んでいるのかが汲み取れます。

それはどんな人格者にもおそらく標準装備されている、生存のために属性の異なる他者を排除しようとする旧皮質レベルの本能かもしれません。

人間のそういう性質は、おそらく一生つきあっていかなければならない持病のようなものだと認める勇気が必要かもしれません。

当然にその病気は、文明社会の発展にブレーキをかけてしまいますが、そんな持病はないと覆い隠してしまうことは、より陰湿な構造で本能を発露させてしまう危険性があり、現にそういった社会現象も見られます。

その上で異人種間の礼儀というものを考えれば、それは決して形式上の作法のことではなく、自分にも相手にもそういった病気があることを恥ずかしながらも自覚して、その上で握手を差し出す態度ではないかと思うのです。

それは例えばエディ・マーフィがそのスタンダップコメディで、スティービー・ワンダーの盲目を笑うような表現の仕方のことです。

全ての人は歴史から人類の拭いがたい本能を自覚せよ、そして覚悟してそれを乗り越えよというのが、私なりの国際人権規約第2条の読み方です。
 

法理メール?