メディア、権威、意味の闘争、装置

テリー伊藤「モテる予感が満々」(日刊スポーツ)
「68年の日大闘争でデモ隊の先頭にいたテリー氏は、味方の投石が左目を直撃し、斜視になった。以来39年間治療せずに過ごしてきたが、番組制作の弟子である日本テレビ土屋敏男氏が手掛けるネット動画サイト「第2日本テレビ」と同局の深夜番組「でじたるのバカ2」への出演をきっかけに治療を決断した。今月10日に手術し、支払いは約3万円。39年間、手術は不可能と思い込んでいたテリー氏は「術後3日目に眼帯をとってみたら、鏡の中の左目が『お前誰だ。なんでおれを39年間もほっておいた』と僕をにらんでいた。3万円なんて…。安くてショックだよ」。テリー氏の斜視は、奇才を象徴するトレードマークにもなっていた。「18歳の時は、就職とか、今後の人生大変だろうと落ち込みもしたが、逆に頑張らなきゃというパワーになった。斜視にもらったファイティングポーズはずっととっていたい」。

治安維持法の2条をごらんください。

(第1条 国体を変革し又は私有財産制度を否認することを目的として結社を組織し又は情を知りて之に加入したる者は10年以下の懲役又は禁錮に処す)

第2条(協議罪)

「前条第1項の目的を以って其の目的たる事項の実行に関し協議を為したる者は7年以下の懲役又は禁錮に処す」 

1925年、文部省と学校当局は、学生の社会科学研究に圧力を加えるようになっていました。

12月1日早朝、京都府警察特高課は、京都全市の警察署の高等係を動員し、京都帝大、同志社大学などの寄宿舎、両大学の社会科学研究会員の自宅、下宿、合宿所から書籍、プリント、ノートなどを押収、学生33名検束しました。

しかし押収された「不穏文書」は、研究会のテキスト用の『レーニン主義の基礎』(スターリン)の一部を翻訳したプリソトや、丸善などで市販されている洋書などにすぎなかったため、当局は新聞記事の掲載を差し止め、各府県警察部特高課を動員し、全国的に社会科学研究会員を検挙、教授・講師の家も捜索しました。

そして38名の学生が、治安維持法違反などで起訴されました。

まだ単なる研究団体にすぎない集団に治安維持法を適用するのは、理論上無理がありましたが、予審決定書は、「私有財産制度の破壊を企図し、その実行に関し協議した」として、治安維持法第2条の協議罪を適用するのが適当だとしました。

そして結局、治維法違反は有罪となり、重い者は禁固刑を受けています。

こうして国家は、はじめての治安維持法違反の適用を、学生運動に対してなすことにしたのです。(参照:治安維持法と特高警察

国の現実的統治の任を直接に背負った政治家や官僚、または団体を通じて間接にそれを背負う財界人にとって、最優先事項はとにもかくにも”国を回していくこと”にあります。

そして実際、国を運営することは、過去あらゆる理想や理念、理論に先んじて優先されてきましたし、これからもどう考えても最優先されるはずです。

道理を優先して国をクラッシュさせるわけにはいかないからです。

そして一旦そちら側の視点に立てば、国民には必ずしも主権者という建前通りの主体性を持ってもらわないほうが、事は逆にスムーズに運ぶように見えるかもしれません。

それは現実の会社経営に支障が出ないよう、本来会社の所有者であるはずの株主の発言権が、会社法によって徐々に狭められてきたことにも似ています。

テリー伊藤さんが参加したような、社会構造に疑問を提起する学生運動は、今ではすっかり影を潜めました。

もしかすると学生運動が下火になったのも、電車の中で違法行為が行われていても誰一人止められないのも、あなたやわたしの思考が今ひとつぼんやりしていて、自分がなにに不満なのかをはっきり言い当てられないのも、なんらかの社会的装置が働いているせいかもしれません。

その装置はいかにもあからさまに設置されなければ、わたしたちは不快感の根本に気が付くこともないのです。

かつてそれをあまりにもはっきりと設置してしまった凶暴な装置、治安維持法は20年の短命に終わっています。

 

 

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