京都3歳児餓死、相談所が虐待情報を放置…父の話信用(読売新聞)
「拓夢ちゃんは9月下旬から衰弱状態にあったとみられるが、同相談所は「通報内容からは虐待と判断できなかった」と説明。貴正容疑者に通報の事実関係をただしたこともなかったといい、理由について「貴正容疑者と内妻の関係を大事にしてあげたいという配慮があった」などと釈明している。警察庁は今年9月、各都道府県警に対し、虐待の疑いがある家庭への警察官の積極的な立ち入りなどを求める緊急通達を出したばかり。しかし、同署は今年3月、姉に対し虐待の疑いがあるとして児童相談所に通告した後、「命にかかわるような深刻な症状ではなかった」として捜査はしていなかった。一方、児童相談所も拓夢ちゃんに関する民生児童委員からの情報を同署に全く連絡していなかったという。」
憲法の第31条をご覧下さい。
第31条〔法定手続の保障〕 |
日本の敗戦時、占領軍が、日本の民主化政策の中で、刑事司法改革を重視したのは、彼らが、日本の戦時刑事手続の運用実態についてよく認識していたからだといいます。
当時の占領軍総司令部民政局法規課長、マロイ・E・ラウエルは次のようにレポートしています。
「日本では、個人の権利の最も重大な侵害は、種々の警察機関、とくに特別高等警察および憲兵隊の何ら制限されない行動並びに検察官(検事)の行動を通じて行なわれた。
あらゆる態様の侵害が、警察および検事により、一般の法律の実施に際し、とりわけ思想統制法の実施に際して、行われた。
訴追されることなくして何ヶ月も何年間も監禁されることは、国民にとって異例のことではなく、しかもその期間中、被疑者からの自白を強要する企てがなされたのである」 [参照:白取祐司 刑事訴訟法 日本評論社]
つまり私たちの国の警察は、戦争に負けるまで突然玄関先に現れ、お父さんを連れて行ってしまい、訴追することもなく何年も監禁していたという現実を作っていたのです。
このような世の中では一般市民は何が自分の本音なのかなど恐怖のために忘れてしまい、誰もが叫ぶように国家の用意したスローガンを繰り返したとしてもムリはありません。
現行の憲法はこの事態の再来を忌避して、31条や33条によって正当な手続きなくお巡りさんたちがわたしやわたしの家族達をひったてていくことを禁じています。
この約束のことを令状主義といいます。
どこかの家が夜中に大騒ぎしていたとしても、やたらと警察官が令状もなしで玄関からドカドカと入っていけないのは、こうした歴史を背負った上での約束のためなのです。
令状主義はそういう世の中の形を維持することで、誰もが自分の本音を確認できる世の中を確保し、それぞれの幸福を目指す指針を失わせません。
しかしいつの世も、形式的約束をつくったのは私たちの幸福を追求するためという趣旨があったからだということを忘れて私たちは思考を硬直させるべきではありません。
子供が他人に助けを求めるというような異常な事態があるとしたら、原則を死守しつつも彼の命のために例外の道をつけなければならないと分かるのも、また私やあなたという生き物の本音からくるものです。
本年度9月の警察庁緊急通達も、令状主義の大原則は理解しながらも、その生存の行方を大人に任せざるを得ない子供の命が危険に面していると疑われるときは例外を出動させる非常手段の道をつけたものです。
こどもには、何もすべがありません。
その命を守れるのは、法の原則の変形も含めてわたしたち大人がどれだけの想像力を働かせることができるかだけにかかっています。
*拓夢くんのご冥福をお祈りします。