ノッポ&ゴン太コンビが復活(livedoorNEWS)
「67年から23年間放送され、90年3月で終了したNHK教育テレビの伝説的番組「できるかな」に出演していたノッポさんとゴン太くんのコンビが5日、東京・渋谷のNHKで行われたイベント「渋谷DEどーも’06」のイベントに出演した。イベントはNHKの番組「みんなのうた」が放送45周年を記念したもの。“名コンビ”は同番組で放送されているノッポさんの歌手デビュー曲「グラスホッパー物語」をミュージカルに仕上げた舞台に参加し、長年の友人だったゴン太くんは、バッタ(グラスホッパー)になって駆けつけた。会場は晴天に加え、こどもの日ということで、親子連れで、立ち見もでるほどの盛況ぶり。懐かしの名コンビのミュージカル初共演に、子供たちもさることながら、お父さん、お母さんの方が、ヒートアップしていた。」
児童の権利に関する条約の第13条1項をご覧下さい。
第13条 「1 児童は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。」(外務省訳) |
「できるかな」はゴン太くんとのっぽさんが工作を教えてくれた有名な番組です。
NHKのキャラクター説明ページによると、”ゴン太くん”とは、当時の担当構成作家が好きだった子供像で、”ごんたくれ”、つまり大阪でいうところのやんちゃ坊主という意味なのだそうです。
それはけものでも人でもない存在をデザインしているのだといいます。
そもそも子供とは十分な言葉を持たない存在であり、十分な言葉を持たないことは余計な固定観念をもたない存在であることも同時に意味しています。
つかみどころのないゴン太くんのかたちは、外界に対してなんら決めつける言葉を未だ持たない子供達自身の不定形性をもあらわしているのかもしれません。
そんな子供達にとって、工作などで手を動かすことは、心を発達させるためにとても大切な作業です。
児童の権利条約は、一八歳末満の者に、大人と同様の人権享有主体としての地位を保障しようとするところに真価のある条約です。
子供はややもすると「もうすぐ権利主体になる半人前」と都合良く扱われがちですが、よくよく考えてみれば、わたしもあなたも幼いころ大人に不条理に扱われて、心を押しつぶしたことがあったはずです。
児童の権利条約は、子供といえどもはっきりと子供固有の権利をもつ存在であり、それは決して権利の順番待ちしている存在ではないのだということを、世界規模で浸透させようというプロジェクトだと言い換えられます。
その13条は大人に非常に重要な権利として与えられる「表現の自由」を全く縮小することなく、大人と同じ形で子供に保障しています。
たとえばあなたやわたしに粘土を無心にこねて表現をしてみるカリキュラムが与えられてきたのも、それがあらゆる意味で大切なことだからです。
わたしたちが子供だったころ、はじめて粘土を見ると、まずそのかたまりに指をつき入れて対象を識別しようとしました。
そして粘土できれいな団子ができるとバンザイし、粘土に乗っかる楽しみを発見すると嬉々として踏みつぶしたはずです。
足で踏む快感を十分に堪能すると、やっとわたしたちは本格的に落ち着いて粘土でコーヒーカップやケーキなど具体的な造形にとりくみました。
幼児は工作をすることで自分をとりかこむ空間を認識し、さらには自分の想像を世界に出現させることの第一歩を踏み出し始めます。
わたしたちにとって子供の時代に大人に見守られながら工作を思う存分したという記憶は、自己という新しい熱を社会にもたらすために欠かせない最初の踏み切り板になるのです。
さて、すっかり大人になったわたしやあなたは、生きるためにたくさんの言葉を手に入れ、その代償として固定観念でがんじがらめになったとても窮屈な毎日を送っています。
言葉を捨てることの価値を、S.I.ハヤカワも主著「思考と行動における言語」で以下のように摘示しています。
「色づけを避けることは、公正で、公平なことであるばかりでなく、さらに重要なことだが、経験の現地に対するよい地図を作るためでもある。強い先入観をもった人は、よい地図を作ることができない。なぜならかれは、敵はただ敵としか見られないし、友も、ただ友としか見られないからである。」
ゴン太くんというかたちの定まっていない子供達が街にたくさん繰り出してわたしたち大人を固定観念から自由にしてくれること、児童の権利条約は他ならぬそのためにできるだけ幅広い道路をこどもたちに用意しようとしています。(私見)