うどん屋さんの指紋認証と必要的悲観主義

渋谷「はなまるうどん」が指紋認証導入-千円で最大420杯(シブヤ経済新聞)
「同サービスは、指紋登録を行い1,000円で1カ月有効な定期券を購入すると、登録後、レジ前で指紋確認を行うだけで、制限無く「かけうどん」が無料で食べられるほか、その他のうどんは105円引きとなるもの。1回の会計後1時間は使用できないが、計算上(営業時間×30日)は1カ月間に1,000円で最大420杯のかけうどんが食べられる。登録時に必要な個人データは、氏名・性別・生年月日のみで、記録データ中に指紋画像の保存は行わず、数値化したデータを暗号化して保存することで、プライバシーにも配慮したという。」

憲法の13条をご覧下さい。

第13条〔個人の尊重,生命・自由・幸福追求の権利の尊重〕

「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」

指紋の「情報」としての重要性は、指紋自体の「単独情報性」に加えて、集積された個人のプライバシー固有情報さえもそれを基に芋づる式に検索し利用できるという「索引情報性」にこそ求めることができるといえます(横田耕一「外国人登録法の指紋押捺制度の合憲性」)。

だからこそ人は本能的に、自分の人体の一部をインデックスとして採取されることに抵抗感を感じます。

それゆえ国家がささいな理由で指紋押捺を矯正した場合、個人の尊厳を侵害するものとしてすぐに憲法13条が問題になることは間違いがありません。

今回は私企業が割引と引き替えに指紋に加えて個人情報を募集し、個人が自らの意思でこれを提供しようという事例ですから、一応尊厳の問題はその影を薄くはします(しかし底流には流れ続けます)。

多くの人が楽観的に考えていることとは逆に、指紋には、潜在的「個人の尊厳の侵害性」、個人を特定する「情報性」、及びみだりに扱われてはならないという「秘匿性」という多面的論点が含まれています(憲法判例百選)。

銀行がセキュリティとして静脈情報を採取するのではなく、飲食店が割引と引替に指紋を集める時、その「情報性」はどう扱われていくのでしょうか。

指紋と個人情報でうどんが割引になるということは、うどんやさんとソフト開発メーカーは、名前、性別、生年月日を従えた指紋という情報を105円の割引と引き替えに大量に入手することになります。

飲食の際に登録者を識別するだけなら、指紋のみを登録すればいいはずですが、個人情報を同時に採取されることは「商いは名簿に始まり、名簿に終わる」という格言に関係があるのかもしれません。

江戸時代の呉服屋は、火事になったら名簿を井戸に投げ込んで逃げたのだとか。

名簿は特殊な紙で水に滲まないようにつくられており、商品は燃え尽きようとも名簿さえあれば商いに本質的支障がなかったのだそうです。

うどんやさんにとっては、わずか105円の割引で大量の顧客情報と利用時間・品目・曜日・天候などの情報をあわせて整理できるなら、(しかも登録者が自ら1000円払ってコストを押し下げてくれるなら)これほどありがたいことはないでしょう。

「情報性」は編纂し直されることで同業者、異業者にも魅力的な打ち出の小槌に、提供者の知らないところで問題にならない程度に変形され得ます。

「秘匿性」はどうでしょう。

個人情報は暗号化したといいますが、電算機で暗号化したということの意味は必ず電算機で復号化できるデータだということを意味します。

現に簡単な暗号情報なら、フリーソフトでも復号化することが可能です。

(今ちょうど、キャッシュカードの表面を盗撮することで、カードの特殊暗号を復号化しているのではないかという事件が世間を騒がせています)

私たちは本質として、あらゆる「鍵」はその技術的堅牢性よりも、印象の堅牢性で成立していることを忘れるべきではありません。

「暗号化」のみをもって、指紋の内包する本質的「秘匿性」の要請を果たしたとは言い難いのです(私見)。

危惧しているのは、ことによると今はまだ誰もが身体情報の取り扱いに対して悲劇的に寛容な時代なのかもしれないという可能性です。

たかが指紋ひとつで、といわれそうですが、フィンガープリントを一企業に個人情報を添えて提供する姿勢では、「氏名、性別、生年月日と、髪の毛を一本ください。DNA情報提供でパソコンを一万円割引します」という時代を潜在的に容認することにもなります。

さて、あなたの感性は、その時代を肯首する準備ができているでしょうか。

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