道路公団副総裁の逮捕と用意されたレトリック

道路公団副総裁・内田容疑者 とぼけ通用せず逮捕(スポーツニッポン)

「内田容疑者の逮捕を受けて、猪瀬委員は「公然とうそをついていたことが証明された。ごまかして逃げ切ろうという気持ちがあったのだろう」と厳しく非難した。さらに、「副総裁は公団内で最も権力を持つ存在で社長のようなもの」と指摘。」

会計法の29条の6をご覧下さい。

第29条の6〔競争契約の相手方の決定〕

「契約担当官等は、競争に付する場合においては、政令の定めるところにより、契約の目的に応じ、予定価格の制限の範囲内で最高又は最低の価格をもつて申込みをした者を契約の相手方とするものとする(以下略)。」 

会計法は国の公共工事についての手続きを定め、地方公共団体ではこれを地方自治法が規定します。

会計法地方自治法の趣旨はいうまでもなく、私たちのお給料から強制的にさっ引かれる税金の使い道をより有効に、意義有る物とすべく、公共工事の発注に公平性と機能性を確保しようとするものです。

このため29条の6では、あらかじめ官が決めた予定価格範囲内を申し出た業者に工事を請け負わせることで税金の余計な支出を抑えようとしています。

ただしこの条文、建設業者側、あるいは建設族とよばれる議員の一派からは、「予定価格なる幻想がそもそも悪い。落札価格という単なる数字で判断するのではなく、業者の内実を判断して決めるよう、会計法を改正すべきだ。業者も必死なのだ」という視点から昨今批判されているところです。

ここでふと、建設族の論理にレトリックを見つけられるのは、「果たして国、あるいは地方と納税者は同じか」という点です。

もしそこが分離していれば、建設業者は一概に会計法に苦しむ一方的弱者であるとはいえなくなります。

そして今回の道路公団副総裁、実質的トップの逮捕は、少なくとも弱者である国民の定める独占禁止法という強者の理論を排斥する法律が、道路公団という権力を委託された機関が委託した国民に対して任務違背があったということを表現しています。

公団ははっきり国民と別物であることが独占禁止法によって解析され、そのことで建設族・建設業界のロジックは本日足下が揺らいでいます。

生命という個体がもっとも原始的によりどころにするのは当然に生存本能です。

そのためわたしもあなたも、もしかしたら建設業者に勤めてあなたを育ててくれた立派なお父さんも、死や暴力を怖れています。

わたしたちが怖れるものの本質は、安全が確保されている自分のやりかたを失うことで、それを防衛しようという行動が度を過ぎるとき、エゴという行動様式が社会を、そして自分自身を硬直化させていきます。

談合が何十年にわたって私たちの国から払拭できないばかりか、当の発注元が天下り先を要求する見返りに談合を支配していたことで、これまで談合防止の為に立法されてきた数々の法が無力だった事実がさらされています。

わたしたちの生存本能を納得も得心もさせられて、変革への恐怖心から解放してくれる社会の建築こそ、本質的に行政改革に期待されているのかもしれません。
 

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