戦争が違法になって、W杯は光り輝いた

サッカーW杯:中田英のゲキ、日本の闘争心よみがえらす(毎日新聞)

Treaty for the Renunciation of War、邦名「戦争放棄に関する条約」の第一条をご覧下さい。

ARTICLE I

「The high contracting parties solemnly declare in the names of their respective peoples that they condemn recourse to war for the solution of international controversies, and renounce it as an instrument of national policy in their relations with one another. 

[私訳]

「第1条
条約締結国は、国際的な紛争の解決策のための戦争や、国策の道具としての戦争を放棄することを、民族の名のもとに厳粛に宣言する。」

サッカーは代理戦争だと比喩としていわれますが、スポーツが人間の「他者排斥」という原始本能を解消する代理行為である以上、それは単なる比喩を超えたカタルシスを現実に勝利国にもたらします。

代理戦争というからには国際的には戦争は不法行為であるはずですが、それが不法と呼ばれたのは実は今からほんの80年前のことでした。

十九世紀まで戦争は、正当な原因さえあれば違法な行為ではないとされました。

これを正戦論といいます。

ただし誰が何を基準に正当な原因を認定するのかは形を得ていませんでしたので、有名無実なロジックだったといえます。

二〇世紀に入ると第ニハーグ条約は”契約上の債務回収のためなら”兵力に訴えることを合法としています。

その後、国連はその規約により、いきなりの戦争や、急いだ戦争などを禁止しましたが、読んですぐお分かりのように国連規約はただ「いい殺し合いと悪い殺し合い」を区別するものでしかありませんでした。

そして1928年まで待って、国連以外の場所で、私たちの世界ははじめて戦争放棄の条約を手に入れました。

これが日本も批准する戦争放棄に関する条約、通称パリ条約です。

この条約の登場で、初めて侵略目的の戦争が「法律に違反する」ことになったのです。

それは気に入らない国、あるいは生活の繁栄のため支配下に入れたい国を焼き尽くしたいというプリミティブな衝動に対する、国家間による相互コントロール、すなわち近代化の道のりと言い換えられます。

しかしそのせっかくの条約も、今日も砲弾が飛ぶ街が砂漠にあることからわかるようにその解釈の道が幾本も残されているのが現実ですが、とにもかくにも人間は「戦争は違法である」と宣言することに成功したのです。

小笠原のシュートがゴールネットを揺らしたとき、バーレーンにボディブローを入れたような快感が国中を貫きましたが、そこで咆吼する闘争本能は、80年前から放し飼いにすることを国際法上許されていません。

口の周りを血まみれにした猛獣は、条約というただの約束の縦糸と、慟哭の記憶という国家的反省の横糸で危うく編まれた檻の中にいるだけで、しかもその檻を編むには気が遠くなる程の長い年月がかかっています。
 

 
法理メール?