藁の上からの養子

「子に会いたくない」続々 人工授精で精子提供の「父」(朝日新聞)

民法の817条の2をご覧下さい。

第817条の2 〔特別養子縁組の成立〕

家庭裁判所は、次条から第八百十七条の七までに定める要件があるときは、養親となる者の請求により、実方の血族との親族関係が終了する縁組を成立させることができる(以下略)。」 
 

藁の上からの養子とは、生まれてすぐの他人の子をもらい、自分たちの子供だと
いうウソの出生届を出して育てることをいいます。

不妊の問題の苦しみは本人達の要望のほか、周りからの何気ない一言というプレッシャーが延々続くところにも存在しています。

この問題を乗り越えるため、私たちの国では藁の上からの子供という因習が続いてきていました。

藁の上からの養子には、生物学的な親子関係がありません。

よってそこに当然の嫡出親子関係は生じませんが、国の現実の対応としてこの偽りの出生届にも養子縁組届の効力を認めようという学説が多々存在しています。

817条の2 〔特別養子縁組の成立〕はまだ幼い子どもを養育するのには従来の普通養子制度では戸籍に「養子」と記載される不都合があったために昭和 62年の改正で作られた条文です。

特別養子縁組みでは戸籍に一応「実子」と記載され、かつ子どもと本来の親の関係は終了します。

しかし実親との関係も記載されるため、日本の特別養子制度は西欧の完全養子制度ほど機能していないと言われています。

817条の2の不完全性は、私たちの国の司法が出産の形式性判断から離れられないことを証明してしまっているともいえます(私見)。

さて、戸籍にどう記載されてたかはともかく、誰かからあなたが名前を伏せた男性の精子の提供で生まれてきた人工授精子だと告げられたら、生物学上の父親の顔が見たいとは果たして思わないでしょうか?

自然的感覚として、もし私なら真実が知りたいですし、それはだれかに責任の一端をもってもらうという性質の話ではなく、自分の最初を確認しないままでは、自分の全時間に意味を与えられない気がするからです。

現在の私たちの島、つまり日本では自分の生まれた事情が複雑そうだと子どもが気がついたとしても、彼、彼女がその「出自を知る権利」は強制力を持った法律としては認められていません。

あたかも817条の2の不完全性の種がここでも芽を出しているようにも見えます。

この問題を検討していく上で衡量すべき法益はいくつかあります。

・子どもを授かれずに苦しんでいる夫婦はたくさん存在し、現実にそれを解消する技術自体は存在していること。しかし法の不備の前にためらっている人たちが存在すること。

・法の実質性の追及とそれによる形式性の崩壊の危険。

・生まれてくるこどもの自己確信の道が社会の都合で疎外されてはならないこと。

ひとつだけ間違いないことは、問題の起点は子どもから考えなければならないということです。

そしてそれは「子どもは次の世代を担う人材だから」などという取引論ではありません。

あなたが子どもの頃尊重されたのは、あなたが、ただ子どもだったからだけであり、しかもそれだけで十分だったはずです。

 

 

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