法の不知というバッドトリップ

麻薬「フォクシー」所持容疑で男逮捕 都内で初摘発

「5―MeOはこれまで法律の規制外だった「脱法ドラッグ」だが、同法の政令が改正されて先月17日から麻薬に指定された。」

刑法38条3項をご覧ください。

第38条(故意)

「3 法律を知らなかったとしても,そのことによって,罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし,情状により,その刑を減軽することができる。」
 

この男性はつい2週間前に改正され、それまで罪に問われなかった薬物が麻薬の範囲に入ったことにより逮捕されました。

世の中には法律を誤解して自己の行為を許されたものと信じて犯罪を行ってしまう場合があります。

この状態を「法律の錯誤」と呼びます。

普通、法律をいちいち知らなくとも、行為者の故意は阻却されません。

そんなことをいっていたらキリがないので社会秩序が保てないからです。

だから38条3項も、情状によって刑を「減軽」できるとしかかいておらず、無罪にするとはいっていません。

ただこの理屈はよくお読みいただければおわかりのように「社会秩序」側からの論理でしかなく、一個の人間側にたってみれば事情によってはそれでは非常に酷な場合もあります。

故意がなければ罰しない刑法の大原則を責任主義と呼びますが、社会の安全を守るために、ドンドン事情抜きで人を罰するのは、責任主義の軽視にとなり、刑法のバランスを崩しかねません。

(刑法は真実発見と人権保護のバランスでできています)

そこで現在では、具体的に個々の法規を知らなかったというだけでは故意は否定されないけれど、法律を知らなかったために自己の行為が許されないことに気づかず、しかもそれが相当の理由をもっているときには故意は認められず罰することができないと考えられて
います。

これを「違法性の意識を欠くことがやむをえない」状態と呼びます。

制限故意説と呼ばれるこの通説的見解の核心は、「自ら道徳を乗り越えたかどうか」という行為人格への非難可能性にあります。

男性は午後四時に本薬物を使用しており、本薬物の効果として浮揚感や幻聴が数時間から24時間続くのだそうです。

本人の内心における可罰的性・不可罰性の判断はともかく、午後四時に精神的な別世界に旅行している人が新宿をうろうろする現象には予測不可能な危険性があり、それはまさに麻薬及び向精神薬取締法の立法趣旨も守備する法益であると思われます。

そして特段男性がこの状態を国家が許容している、すなわちおまわりさんに呼び止められてもなんら臆することはないと考えていたとは思われず、私見ですが、男性の規範的人格非難可能性は認められそうです。

つまり違法性の錯誤に「相当の理由」があったとはいえそうになく、たとえ男性が麻取法の改正を知らずとも、所持・使用の罪は成立するものと思われます(私的判断)。

しかしもっとも肝要なのは、男性にとってどんな判断が法廷ででたとしても、それは人権に有利な形の法律バランス論をくぐり抜けてきたものなのだということをご自身で納得されることにあると思います。
 


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