フィッシングサイトには選択という武器を

昨日、私がYAHOOオークションに出品していた洋書に対して終了時刻直前に以下のような質問が届きました。

「今回事情により、直接取引きで購入したいのですが可能でしょうか?値段はそちら様の言い値で結構です。こちらのメールに直接お返事いただけないでしょうか?(メールアドレス)よろしくお願いします。」

刑法の246条をご覧下さい。

第246条〔詐欺〕

「1 人を欺いて財物を交付させた者は,10年以下の懲役に処する。 」

思わずにっこりしてしまいましたが、念のため返信先メールアドレスをネットで検索してみると、この文面は有名なフィッシングメールであることが判明しました。

フィッシングメールとは言葉巧みに個人情報を引き出して、それをもとに口座の引き出しやYahooIDの乗っ取りなど、あらゆる被害におびえるハメになる犯罪で極めて詐欺的な行為です。

ここではっきり「詐欺だ」といいきれないのは、詐欺の構成要件として財産の移転が必要だからです。

個人情報の不正入手だけでは財産の移転があったとはいえません。

このためこれまでは、有名サイトそっくりの偽サイトをつくって個人情報を集めていた人が、著作権法違反により検挙されるなどして対応してきました。

私自身、突然「いい値でいい」といわれると、やはり悪い気がせず、おいしい話がやってきた!とつい急いで返信したくなりましたが、もしかすると世の中の仕組みの多くはこんな風になっているのかもしれません。

無意識の内に、皆が楽でおいしい話がいつかやってこないかと口を開けて待っているのだとすると、そういう構図に意識的な人達の仕掛けた、幸運の形に似たトラップに皆が集まって、彼らを潤すことだけで私たちの日々が費やされていく危険性があります。

そういう心は、たとえばクレジットカードでポイントがたまるといわれると一生懸命使ってみたり、毎月の払いは小額でいいですよといわれブランドバッグを買ってみたり、宝くじと印刷された紙切れを 300円払って買ってみたりという仕組みに組み込まれています。

ひょっとすると、私たちのそういう心理構造それこそ、資本主義の強烈な駆動力自身かもしれません。

しかし一旦その仮定に自覚的になれば、こちらには”選択”という武器が残されています。
 


法理メール?