主砲は投票、砲弾は立候補

タレントの桜金造氏、出馬の意向=都知事選(時事通信)
「タレントの桜金造氏(50)は16日、東京都知事選(4月8日投開票)に立候補する意向を表明した。取材に対し「少子化対策や防犯に力を入れたい」と述べた。16日午後、都選挙管理委員会事務局を訪れ、立候補の関係書類を入手した。桜氏は広島市生まれで東京育ち。1975年にコメディー集団「ザ・ハンダース」で芸能界デビュー。テレビドラマや映画などで活動している。」

憲法の15条1項をごらんください。

第15条

「1 公務員を選定し,及びこれを罷免することは,国民固有の権利である。」 

公職に立候補できる権利は誰にでも保障されていそうですが、法律的には、単に投票ができる自由より年齢等比較的厳しい条件が課せられています。

実は憲法のどこにも、「国民には立候補する自由がある」とは書いてありません。

そこでこれに関してモメ事が起きると、いったい立候補する自由ってのはあるのかないのかが過去争われてきました。

(法律は立候補しようとする人に条件だけを突きつけており、立候補する自由などは書いていないという学説も有力でした)

その代表的なものとして、昭和43年に炭鉱の労働組合内の内紛が法廷に持ち込まれた事件がありました。

北海道の炭鉱労働組合で、市の議員を選挙する時、組合に利益のある統一候補者を全員で支持しようとしたところ、ひとりの組合員が勝手に立候補しようとしました。

組合役員は票が割れることを防ぐため、立候補を辞めさせようとしましたが彼は翻意せず、結局彼が当選してしまいました。

組合役員は彼に一年間組合員としての権利を停止すると通告したので、当選人を威迫したとして公職選挙法違反に問われた裁判です。
(三井美唄炭鉱労組事件 昭和43年12月4日)

このとき最高裁は、

「被選挙権を有し、選挙に立候補しようとする者がその立候補について不当に制約を受けるようなことがあれば、

そのことは、ひいては、選挙人の自由な意思の表明を阻害することとなり、自由かつ公正な選挙の本旨に反することとならざるを得ない。

したがって、立候補の自由は、選挙権の自由な行使と表裏の関係にあり、自由かつ公正な選挙を維持するうえで、きわめて重要である。

このような見地からいえば、憲法15条1項には、被選挙権者、特にその立候補の自由について、直接には規定していないが、

これもまた、同条同項の保障する重要な基本的人権の一つと解すべきである」のだとして、立候補する自由保障の法的論理構成を示してみせました。
[参照:憲法判例百選(2) 芦部信喜・高橋和之・長谷部恭男 有斐閣]

そうした判例理論、そして現在の学説上の通説によれば、わたしやあなたの投票する自由の真価を担保する形で、立候補する自由もまた保障されているというわけです。

つまり立候補の自由は、わたしやあなたの過ごす一生の環境を決めるために用意された、”表現の自由”という主砲が放つ砲弾選択の自由です。

 

 

法理メール?  * 発行人によるメールマガジンです。