母による18年の軟禁とまぼろしの白帆

母が娘を18年“軟禁”義務教育受けさせず…福岡(読売新聞)
「母親は、少女を就学させなかったことについて、「物を壊したり、排せつがうまくできないなど発育の遅れがあり、外に出すのが恥ずかしかった。他人の迷惑になるとも思っていた」と説明した。」

児童憲章の全文をご覧下さい。

われわれは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。

児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境のなかで育てられる。

1 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。

2 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。

3 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。

4 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。

5 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。

6 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整った教育の施設を用意される。

7 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。

8 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会を失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分保護される。

9 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、わるい環境からまもられる。

10 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱いからまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。

11 すべての児童は、身体が不自由な場合または、精神の機能が不十分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。

12 すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。

児童憲章は、戦後間もないころ、この国が新しい憲法の精神を子供達にも投射して打ち立てた憲章です。

ここで憲章とは物事の指針を意味するため、そこには罰則という概念が存在しません。

我々は全て同じ方向に歩もうとしているというのが当然の前提となっているわけです。

それは敗戦時という思想の真空状態において「児童憲章に書かれているような視点がこれまでの我々には欠けていたのだ」という自省的視点が、大人達の間へ極自然に立ち上ってきたことの記録でもあります。

国家というくくりのなかで”戦略”が人間という生き物の根源的欲求より先んじていた時代の反作用として、このような美文が誰の反対にあうこともなく奇跡のように掲げられました。

その後五十余年、憲法の大きな帆は時代の風を受けて右に左に大きくはためいていますが、その脇に掲げられた小さな白帆、児童憲章はもはやないがしろにされているといっても過言ではありません。

デッキの上が忙しくなってくれば、罰則がないという”帆のカタチをした装飾品のひとつにすぎない”児童憲章など、かまっていられるかとでもいうかのごとく、児童をめぐる悲惨な事件が続いています。

国家から帝国主義の”戦略”が抜け落ちたあと待っていたのは、大人がただ生きていくために功利主義で個人的に武装するという新たな”戦略”にすぎなかったのでしょうか。

児童憲章が大人に求める正しい風向きは、一瞬だけ生きることに戦略のなかった、かつての”真空の時代”にこそ見つかるのかもしれません。



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