広島小1殺害:自称「日系」に疑問 ペルー人社会の反応(毎日新聞)
「広島女児殺害事件で「日系3世」を自称するペルー人、ピサロ・ヤギ・フアン・カルロス容疑者(30)が逮捕されたことについて、ペルーの日系人の間では「聞いたことのない名前だ」「本当に日系人か」との疑問の声が上がっている。「日系人」の偽造書類を手に日本に渡るペルー人も多く、首都リマのペルー日系人協会は同容疑者に関する情報の収集を急いでいる。」
法務省告示第132号をご覧下さい。
出入国管理及び難民認定法第七条第一項第二号の規定に基づき同法別表第二の定住者の項の下欄に掲げる地位を定める件 「出入国管理及び難民認定法第七条第一項第二号の規定に基づき、同法別表第二の定住者の項の下欄に掲げる地位であらかじめ定めるものは、次のとおりとする。 |
出入国管理及び難民認定法、通称入管法は、査証の種類を七つに分類しています。
そのうち仕事をしてもかまわないのが(1)外交査証、(2)公用査証、(3)就業査証で、極真っ当なピカピカのビザであり、逆に言えば生活に苦しい人達が日本に出稼ぎに行こうとする場合には非常に入手が難しいものです。
続いて仕事をしてはならないとされているものが(4)一般査証、(5)短期滞在査証、そして(6)通過査証です。
これらの、いわゆる一般のビザを取得した人が日本で働けば不法就労ということになり、重罰が待ちかまえています。
最後に残った(7)特定査証ですが、これは日本での活動に特に制限のない裏技のような在留資格です。
その資格者は三種類で、まず日本人の奥さんや旦那さんになった人。
つぎに永住者の奥さんや旦那さんになった人。
最後に定住者と呼ばれる分類にあたる人達であり、これが法務省告示第132号をもって難民の方々や日系の2世・3世等だと指定されています。
すなわち、ペルーがたとえ経済的に危機にあったとしても、そこに暮らす人が日系三世までであれば日本に来て「定住者」という査証のもと堂々と仕事をし、母国に仕送りをすることが許されるのです。
1990年に入管法は改正され、日系3世やその配偶者をも別表第2にいう「定住者」として、日本で就労することを合法であることにしました。
それは国家が保護しなければならない「日本人」の定義を人道的に拡張するとともに、出生率の低下で確実に日本を待ちかまえている労働力の圧倒的不足という問題を補っていくために、法がそれまでの態度を超えて踏み出した第一歩だったのだと思います(私見)。
事実改正以降、定住者として世界中から日系人の流入が続いていますし、いろいろな現場で外国人の人が働いているすがたをみることはもはや珍しいものではなくなりました。
入管法の改正は日本国と移民の双方に一定程度の幸福をもたらしたはずですが、異なる文化をもってやってくる人達の孤独や混乱はないはずもありません。
私自身があまり恵まれていない環境の下、数年間異国で暮らしたことがありますが、その孤独やこのままでは死ぬかも知れないという思いは、準備万端整えて制度的にもしっかり守られたまま留学する学生や赴任者には最後まで理解し難いものがあるでしょう。
海外においても相当程度の日本人が、イリーガルに労働しているとささやかれるのとちょうど鏡映しのような状況が、外国人労働者に開国を始めたこの日本でも起こり始めているとしても不思議ではありません。
ただしそのような”選択した孤独”に暮らす人達が全て凶行に走るはずもなく、外国人労働者という属性を安易に事件の特異性に結びつけようというのはあまりにも安易だといえます。
更にピサロ・ヤギ・フアン・カルロス容疑者が本当に「定住者」の資格をもつ日系三世だったのかを疑われているそうですが、同じ理由で「日系人でなければ、更にさもありなん」という主張を文脈上読み取らせようというのならそれもまた危険なことです。
ほとんどの海外で働く人達はどのような状況下であろうとも、いやむしろ状況が恵まれないほどその孤独に折り合いをつけながらなるべく問題を起こさないように暮らそうとしており、彼らの状況や属性は事件に対する装飾語以上に評価してはならないからです。
そしてそういったものをことさらに事件の特性と結びつけようとすることは、私達自身がとった入管法の特定査証に関する新しい時代の決断をも侮辱してしまうことを意味しています。
もしそこにピサロ容疑者の特質以上の環境的問題があるならば、双方が一定の幸福のために納得して選択した道である以上、属性を指さすのではなくお互いが問題の解決にあたらなければなりません。
木下あいりちゃんのご冥福をお祈りします。