時価50円の古新聞盗み逮捕 資源回収所から持ち去る(livedoornews)
「警視庁深川署は11日、東京都江東区の資源回収所から古新聞約10キロ(時価50円相当)を持ち去ったとして、窃盗の現行犯で自称資源回収業ら2人を逮捕した。
フランス人権宣言の第8条をご覧下さい。
第8条 「法律は厳格、明白、必要な刑罰でなければ定めてはならず、犯行の前に設定され、公布され、かつ、適法に適用された法律によらなければ処罰されない。 (原文) |
件の古紙回収業者、区の所有物を窃取すなわち持ち去っていますので、235条の書いてある通りの動作はしています。
これを構成要件該当性といいます。
しかし刑法は私たちから権力を受託した歯止めの効かない国家が、同じ人間を檻に入れたり、命を法の名の下に奪ったりする判断システムですので、慎重を期すためこのほかに、違法性、そして有責性という全部で三つのザルを使って、最後まで落ちてきた人だけを皆が納得して罰を与えることにしています。
この三つのザルを犯罪構成要素といいます(詳しくは本誌左上の、”六法に書いてあること”ご参照下さい)。
つまり構成要件該当性を認定されたあとは違法性の判断に入るわけで、違法性とは端的に「彼、彼女は刑法の罰を与えるに十分な悪い奴だ」といえるかどうかという判断のことです。
このためたとえば正当防衛で人を殴った人は、たとえ構成要件上暴行罪にあたる行為をしていても違法性が阻却されます。
さて、たかだか50円分の新聞を盗んだ窃盗行為、いくら額は関係ないといっても司法が彼らを前科者にしようとするに十分な違法性があるといえるのでしょうか。
この問題を解決しようとするのが、刑法における「可罰的違法性理論」と呼ばれるものです。
可罰的違法性とは、構成要件該当行為に含まれる、刑事処罰に値する質的及び量的内容のことです。
そして一般的には違法な行為だとしても、そこに可罰的違法性がないのなら犯罪の成立を肯定しないのが可罰的違法性理論で、学説上の通説だといわれます。
この通説には、謙抑主義と呼ばれる思想が表出しています。
謙抑主義とは、刑法の刑罰という直接的で過酷な制裁手段行使は、穏やかな他の制裁で効果のない時だけ最小限度出動させようという態度です。
50円分の財産の窃取行為に対していきなり司法が刑法で前科者にしようとするのは、やはり刑の必要最小限の出動という精神より別の判断基準が優先しているように感じられます(私見)。
かつて十八世紀、マリーアントワネットら貴族はベルサイユ宮殿の中で放蕩のかぎりを尽くし、逆にその体制に逆らうものには必要以上の刑をもってバスティーユ牢獄に大量収監していました。
このためフランス革命はまず、そのバスティーユを人々が襲撃したことから火の手が上がり、そしてその結果生み落とされたのが他ならぬフランス人権宣言です。
「不要な刑の濫発」は王の首を落とすほど人に悲しみを与えたのです。
冒頭フランス人権宣言8条前段で「必要な刑罰で(nécessaires)」という文言を用い、謙抑主義を念押ししたのはこれがためです。
一時期、日本の最高裁も採用していると見られていた可罰的違法性といういわば穏健な理論も、昨今の判例はこれに同調しない方向にあるともいわれています。
区民の皆で苦労して集めた新聞という区の財産を勝手に業者が持って行くのは確かに腹立たしいでしょう。
しかしたった50円分の古新聞窃取という行為に対して最終的に司法が刑事罰を与える方向を市民が怒りにまかせて安直に支持してしまうのは、歴史を遡れば他ならぬ私たちと法理との手を離してしまいかねません。
私たちにはこの点に十分な注意が必要です。
法理メール?