己が手の握った三本の槍を見よ

中村 マイナー通告に激怒(スポーツニッポン)
「中村が開幕25人枠に入れなかった理由として一番大きいのが契約の壁である。控えの枠を争ったサインツは打率・139と不振だが、契約にはマイナーに落とせるオプションが残っていない。つまり、マイナー契約の中村を25人枠に入れるためには、サインツを解雇するか、トレードで放出する以外に手段はなかった。」

民法第3編第2章の項目をご覧ください。

「第二章 契約
  第一節 総則
  第二節 贈与
  第三節 売買
  第四節 交換
  第五節 消費貸借
  第六節 使用貸借
  第七節 賃貸借
  第八節 雇傭
  第九節 請負
  第十節 委任
  第十一節 寄託
  第十二節 組合
  第十三節 終身定期金
  第十四節 和解」

資本主義で社会を駆動させる大前提は個人の意思が自由に発現できることです。

それは労働力と貨幣、そして貨幣と商品を交換するとき、自分を拘束するのはまず自分の意思だということです。これを私的自治の原則とよびます。

そして自分と相手はお互いの意思が合致すれば自由な契約を締結できる環境も当然必要になります。

これを契約自由の原則と呼びます。

普通、契約といえば債権関係を発生させる債権契約を指します。

これが先ほどあげた日本の民法が3編2章にあげる典型契約というモデルですが、我々の手中に私的自治がある以上、これ以外にも意思さえ合致すれば広い範囲での法律関係の形成が認められています。

アダム・スミス以降の古典学派が官僚による経済統制を忌避するのも私的自治の効果を重視するためです。

日本民法を用いてアメリカでの契約を語ることは本来筋違いですが、アメリカも同じ商品交換を基礎とする資本制生産社会だという点から考えれば、中村選手の敗北はマイナーリーグに落とすオプションのない契約をすることができなかったところから始まったようです。

そして「もしそういうオプションをつけるなら君は契約に値しない」と球団が意思の合致ポイントを上げるのも資本主義社会ならではの自由です。

法律学・経済学的にいえば、控えの枠を争ったサインツ選手には、そのオプションをつけても意思を合致させたかった、すなわち契約したかった球団にとっての交換価値的魅力があったことになります。

そして一個人はこの経済の自由な動きに介入できません。

マルクスはこれを「疎外」と呼びました。

怒りというのは問題解決の鍵を他者任せにする態度に他なりません。

中村選手に今必要なのは、所有の絶対、契約の自由、過失責任という3本の槍が立つこの競技場において、自分自身も納得して同じく契約の自由という槍を握ったのだと認める覚悟だと思うのですが、さていかがでしょう。
 
 

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