住所の意義と法という素粒子

武富士元会長の長男、国税に異議申し立てへ(読売新聞)

民法の21条をご覧下さい。

第21条〔住所〕 

「各人の生活の本拠を以て其住所とす」

各種の法律がその対象人がどこに住んでいるのかを基準に処理を決めますので、居宅がたくさんある人の場合どういう場所をもって法律上「住所」と呼ぶのかが重要になる場面があり、そのため21条が「それは生活の本拠のことだ」と取り決めています。

「生活の本拠とはどういう場所か」という部分ではこれまで争いがありましたが、判例・学説とも現在では「それは本人の主観というよりも、客観的に決定すべきだ」という結論に落ち着きつつあるといわれます。

海外に家まで購入してビザまでとり、しかも当時の判例が「住所」の解釈において主観説の可能性を見せていたとしたら、税理士が当時発案したアイディアは課税の回避手法として強力なものだったかもしれません。

しかし法の観察して抜け穴を探していた人達が、皆そのアイディアを実行しはじめれば、もはや対象である法はハイゼンベルク量子論のようにその姿をかえずにはいられません。

ハイゼンベルク不確定性原理とは、観察者の観察行為そのものが対象に影響を与えてしまい、本来の姿は観察できないというジレンマのことです。

実際2000年に法改正が行われました。

これから「住所」の意義を争うのであれば、より実質性を備えた主張が求められます。

法の伸張性をみくびるべきではないからです。
 

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