信頼の原則と魂の計量

「事故防げた」再捜査で青信号側を起訴…信号無視死亡(読売新聞)

府道を南進していた会社員の車が青信号で交差点に進入、右側から赤信号を無視して突っ込んできた乗用車の側面に衝突。地検は「別の車が赤信号を守らずに飛び出してくるとは、予測できなかった」などと、「信頼の原則」を適用して、会社員を不起訴処分とした。しかし再捜査を開始。(1)道路の見通しは良く、会社員は交差点の約100メートル手前で男性の乗用車を確認できた(2)会社員は制限速度を約30キロオーバーしていたなどがわかった。 」

刑法の38条1項但書をご覧下さい。

第38条(故意)

「罪を犯す意思がない行為は,罰しない。ただし,法律に特別の規定がある場合は,この限りでない。」

刑法は,故意犯だけを罰するのが原則で、もし過失犯を処罰するときは特別の規定を必要とします。

それが38条1項但書、「過失犯」と呼ばれる特別な責任のある犯罪です。

ニュースの記事中にある「信頼の原則」とは、被害者ないし第三者が適切な行動をとることを信頼するのが相当な場合なら、たとえそれらの者の不適切な行動により犯罪結果が生じたとしても、それに対して刑事責任は負わなくてもよいとする原則のことです。

交通事故などであまりにドライバーに難しい責任を要求することは、現代社会の発展にも負担になりかねませんので、過失犯処罰を限定とすることをねらいとしたものです。

赤信号で突っ込んでこないことを信頼した会社員は本来、「信頼の原則」によって形責を問われないところでしたが、よくよく調べてみたところ、現代社会の必要経費と割り切るにはあまりに横着な運転だったことがわかったということです。

イギリスの産業革命以来、資本主義はその欲望の赴くままに突っ走ってきました。

しかしここ日本で信頼の原則がそれほど大手を振って利用されなくなってきたのは、ことによると純粋資本主義が失速しつつあることを暗示しているのかもしれません。 

 

 

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