天才への憧憬と幸福の面積

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加藤元名人、猫エサやり敗訴も投了せず「給餌続ける」(iza)

「“天才棋士”と呼ばれた将棋の元名人、加藤一二三(ひふみ)九段(70)が、自宅のある集合住宅で野良猫に餌を与え、汚れや悪臭などの被害を出したとして、管理組合や住民が餌やりの中止と645万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁立川支部は13日、加藤氏に餌やりの中止と約200万円の賠償を命じた。加藤氏は控訴する考えで、簡単には“投了”しない構えだ。」

民法の709条をご覧ください。

第七百九条(不法行為による損害賠償)
「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害 を賠償する責任を負う。 」

 
騒音や震動、排気や臭い、廃汚水、日照や通風の妨害、電波障害など、周囲の他人の生活に各種の妨害や悪影響を与える行為のことを、民法学上生活妨害と呼んでいます。

日本では単なる生活妨害を超える深刻な人身被害が1960年前後から社会問題化、「公害」と呼ばれて盛んに議論されました。

生命・身体に被害を及ぼす「公害」が、権利侵害にあたることは言うまでもありませんが、生活妨害は権利・利益侵害との関係で実はやや異質な問題を含んでいます。

そのことを象徴的に示す古典的ケースが「信玄公旗掛松事件」です。

信玄公旗掛松事件とは、旧信玄公旗国鉄中央線日野春駅付近にあった、武田信玄が旗を掛けたといわれる松が、汽車の煤煙により枯死したため、所有者が国を相手取って損害賠償請求した大正8年の判決です。

鉄道会社が汽車を走らせる行為は、たとえ煙が周辺の木にかかろうとも本来適法かつ社会的に有用な行為だったはずですが、大審院はその判決上以下の論理を提示しました。

まず「権利の行使といえども法律に於て認められたる適当の範囲内に於て之を為すことを要する」、つまり「適当の範囲」を超えると権利の濫用となり不法行為責任が生ずるとし、そしてその「適当の範囲」とは「社会的共同生活」の必要から考えて、「社会観念上被害者に於て認容」すべきものと「一般に認めらるる程度」だとしたのです。

この論理は、たとえば猫の餌やりという権利の行使自体は適法であったとしても場合によって不法行為となりうる場合を認めるとともに、その判断基準としては被害者がどこまでがまんすべきかという観点を入れた点に特色があったのです。

(そして結論として、たとえ公共性の高い鉄道事業という業務行為であっても、程度を我慢の限度を逸脱していて、それは不法行為だということになりました)

その後公害事件が増える中で、信玄公旗掛松事件判決の論理はより明確な形で定式化されるに至ったのが、いわゆる受忍限度論と呼ばれる法理論なのです。

受忍限度論においては、不法行為の成否は端的に生じた結果が社会的共同生活における受忍限度を超えているかどうかという基準によって判定されます。

つまり受忍限度論をもって、適法行為による加害という生活妨害型不法行為に特有の判断基準が形成されたのです。

(以上参照:民 法 III [第3版] 債権総論・担保物権

 

加藤一二三棋士も、「なぜ完全に適法な餌やりという行為が不法行為と呼ばれるのか」として控訴する予定だといいます。

しかし民事法は、生まれてきた全ての人がそれぞれにできるだけ幸福を追求できるよう、原理としてのバランス装置を内蔵しています。

それはあるいは大衆の中に突然花咲く天才、その視点からみると合点のいかない原理なのかもしれません。