さようなら赤塚不二夫さん、愛すべきプロメテウス

タモリ「肉親以上」赤塚氏にあらためて感謝(スポーツニッポン)
「「私がこの世界に入ろうとした時に、突然私の前に現れて、デビューのきっかけをつくり、その後の物心両面での援助は肉親以上のものでした」と説明。「あれから32年が過ぎました。色々な出来事、その場面が頭に浮かんでいます。ここに改めて感謝し、ご冥福を祈ります。先生ありがとうございました」と思い出とともに、感謝の言葉で締めくくっている。タモリが知人の悲報に際しマスコミに対応することはほとんどなく、異例のコメント発表は2人の親交の深さをうかがわせた。2人の出会いは1975年(昭50)ごろ。当時無名だったタモリは福岡から上京したばかりで、新宿の酒場で宴会芸などを披露していた。これを見た赤塚さんが「この男を九州に帰してはいけない」と、目黒にある自分のマンションにタモリを居候させた。マンションは家賃17万円の4LDK。月20万円ほど小遣いを与え、赤塚さんのベンツも乗り放題だったという。」

憲法の13条をご覧ください。

第13条〔個人の尊重,生命・自由・幸福追求の権利の尊重〕

「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」

赤塚不二夫さんは少年漫画に大胆な改革を持ち込んだ革命児でした。

しかし単にそれだけに収まらず、タモリさんなどたくさんの才人を世にもたらすため尽力した、ロシアバレエでいうところのディアギレフのような仕事もしています。

赤塚さん自身は人々の記憶の一線から遠のいた後、長い間闘病に苦しんだといいますが、その姿はどこか、人類の恩人である「縛られたプロメテウス」を思い起こさせます。

 

古代ギリシャアイスキュロスが書いたその悲劇では、プロメテウスが、ゼウス神から火を盗み人間に与えます。

そのおかげで人間は現在のように文明を発達させることが出来たといいます。

しかしそのために、プロメテウス自身はゼウスの怒りに触れ、断崖絶壁に鎖をもってつながれてしまいました。

そしてゼウスは罰として、毎日鷲にプロメテウスの肝臓をついばませ、不死身のプロメテウスは永劫その激痛に耐えるしかありませんでした。

しかしながら、激痛のなかでも彼は人間に火を与えたことを、ついぞ後悔することはありませんでした。

 

わたしたちの憲法はその13条前段で「個人の尊厳」の原理を定め、また後段ではいわゆる「幸福追求権」を定めています。

通説的見解によれば、幸福追求権は具体的権利性を有するものと解されているため、この見解によると後段には裁判規範性が認められるという点に、前段と異なった大きな意味を見出すことができると考えられます。

「幸福追求権」の法的性格は、憲法に列挙されなかった「新しい人権」の根拠となる一般的・包括的な権利です。

よってそこから導かれる新しい形の人権には、13条後段により具体的権利性が認められることになります。

わたしたちが一生をかけて追求したい幸福とは、あるときは誰にも威張れるような富を手に入れることだったり、またあるときには有名になったりすることになるかもしれません。

しかしながらいつか必ず終わるわたしたちの一生をかける価値のある幸福があるとすれば、結果的に痛みをともなったとしても、この社会に自分たちなりの幸福を置いていくことであるような気がします。

 

赤塚不二夫さんの6年間の闘病は、ひょっとすると第一線で創作活動を続けた人だけが知るストレスがもたらしてしまったのかもしれません。

だとしてもきっと赤塚さんは人類に火をもたらした恩人、プロメテウスがそうだったように、創造の日々を後悔することなどなかったはずです。

誰が見てもあきらかなことは、どのような闘病生活が晩年に待っていたのだとしても、赤塚さんがもたらしてくれたさまざまな作品や友人が、今日もわたしたちの社会に幸福の火をもたらしてくれているということです。

それが赤塚さんなりの憲法13条後段、「幸福追求権」の行使だったかもしれませんし、もしかすると生きるということは単にそういうことのために与えられた時間なのかもしれません。

赤塚さんの穏やかなご冥福を心よりお祈りします。