危険運転致死傷罪:餡のない饅頭

3児死亡事故の今林被告に懲役7年6月、危険運転罪退ける(読売新聞)
「幼児3人が犠牲になった福岡市の飲酒運転追突事故で、危険運転致死傷罪と道交法違反(ひき逃げ)に問われた元市職員今林大(ふとし)被告(23)の判決公判が8日、福岡地裁で開かれた。川口宰護(しょうご)裁判長は「酒酔いの程度が相当大きかったと認定することはできない」と述べ、危険運転致死傷罪(最高刑懲役20年)の成立を認めず、予備的訴因として追加された業務上過失致死傷罪(同5年)を適用、道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)と合わせ法定刑上限の懲役7年6月(求刑・懲役25年)を言い渡した。」

刑法の208条の2をごらんください。

208条の2(危険運転致死傷)

「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で四輪以上の自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで四輪以上の自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。 」(以下略)

2001年に危険運転致死傷罪が新設される大きな要因となったものが東名高速事件です。

量刑を不服とした被害者遺族が中心となって悪質交通事故事件厳罰化を呼びかける署名活動が展開され、37万人を超える署名が集まりました。

これをきっかけに危険運転致死傷罪は新設されたのです。

この危険運転致死傷罪は重い罰を用意するために、過失犯である業務上過失致死傷罪と区別する意味で故意犯とされています。

しかし酔ってハンドルを握った時点では、人の死傷という結果の認識・認容がないのにもかかわらず、故意犯とするためには、法技術的な操作が必要です。

このため危険運転致死傷罪は、結果的加重犯に類似した構成が採られています。

結果的加重犯とは、例えば,傷害罪を犯したところ、その負傷が原因で被害者が死亡したなら、傷害罪ではなく傷害致死罪となるように、基本的な犯罪の故意しかなくとも発生した重い結果の加重刑で処罰される罪のことをいいます。

しかしここで、危険運転致死傷罪を大福の餅にたとえるならば、餡にあたる基本犯である「危険運転」という罪は刑法に存在していません。

つまり餡のないとても奇妙な刑法の大福、それが危険運転致死傷罪だとたとえることができます。

それは厳罰という大きな餅をつくるためには、餡の部分が単なる道交法違反の故意では不十分だったためだと考えられます。

さて、208条の2(危険運転致死傷) の1項、”酩酊運転致死傷罪”に当たるためには、酩酊の影響により現実に前方注視やハンドル、ブレーキの操作が困難な心身の状態となることが必要だと条文から読み取れます。

そしてドライバーに危険運転致死傷罪を課すためには、「正常な運転が困難な状態」の認識が故意として要求されることになります。

しかし人ならば誰でも普通、酔えば酔うほどそのような認識が難しくなってくるはずです。

危険運転致死傷罪故意犯と規定したゆえ、酩酊という危険が増すほど罪を成立させる構成要件である危険運転の認識が難しくなるという、構造上のパラドックスを抱え込んでいます。

もし「ひどく悪いやつには、ひどく重い刑を」という、わたしたちの極素直な感情を、司法により明確に要求するならば、危険運転致死傷罪には、もっと緩和した要件を設置しなおすべきです。

実際このようなおろか者に、もし自分の家族を殺められたなら、誰しも同じ死を法が加害者に用意することを望むことは人としてとても自然な感情だといえるのではないでしょうか。

しかし一方で、司法が刑法の安易な厳罰化をためらうのは、刑法がヤコブスのいうところの市民による「控えめな戦争」のための「敵味方刑法」と化していってしまう、その先にある未来を憂慮しているのかもしれません。

 

(参考文献)