お金の峰で管理人の羽振りがよくなった

腐れ社保庁OBの大放言…無責任対談本の中身とは 当時から記録消滅予見も「見切り発車した」ZAKZAK
「まさに「国民のカネは自分たちのもの」と聞こえるこの発言は、年金制度草創期の1943-45年に厚生省年金局年金課の課長だった花澤武夫氏(故人)によるもの。88年発刊の『厚生年金保険制度回顧録』(社会保険法規研究会)に記されているものだが、この本は年金制度草創期から時系列に、当時の担当者に社保庁OBらが話を聞く形でまとめられている。」

国民年金法の第75条をごらんください。

第75条(運用の目的)

「積立金の運用は、積立金が国民年金の被保険者から徴収された保険料の一部であり、かつ、将来の給付の貴重な財源となるものであることに特に留意し、専ら国民年金の被保険者の利益のために、長期的な観点から、安全かつ効率的に行うことにより、将来にわたつて、国民年金事業の運営の安定に資することを目的として行うものとする。」 

以下件の書籍、「厚生年金保険制度回顧録」から、指摘されている箇所を正確に引用してみましょう。

「花澤

それで、いよいよこの法律ができるということになった時、すぐに考えたのは、この膨大な資金の運用ですね。これをどうするか。これをいちばん考えましたね。この資金があれば一流の銀行だってかなわない。今でもそうでしょう。何十兆円もあるから、一流の銀行だってかなわない。これを厚生年金保険基金とか財団とかいうものを作って、その理事長というのは、日銀の総裁ぐらいの力がある。そうすると、厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だと。金融業界を牛耳るくらいの力があるから、これは必ず厚生大臣が握るようにしなくてはいけない。この資金を握ること、それから、その次に、年金を支給するのは二十年もかかるのだから、その間、何もしないで待っているという馬鹿馬鹿しいことを言っていたら間に合わない。戦争中でもなんでもすぐに福祉施設でもやらなければならない。そのためにはすぐに団体を作って、政府のやる福祉施設を肩代わりする。社会局の庶務課の端っこのほうでやらしておいたのでは話にならない。これは強力な団体を作ってやるんだ。それも健康保険協会とか、社会保険協会というものではない、大営団みたいなものを作って、政府の保険については全部委託を受ける。そして年金保険の掛け金を直接持ってきて運営すれば、年金を払うのは先のことだから、今のうち、どんどん使ってしまっても構わない。使ってしまったら先行き困るのではないかという声もあったけれども、そんなことは問題ではない。貨幣価値が変わるから、昔三銭で買えたものが今五十円だというのと同じようなことで、早いうちに使ってしまったほうが得する。二十年先まで大事に持っていても貨幣価値が下がってしまう。だからどんどん運用して活用したほうがいい。何しろ集まる金が雪だるまみたいにどんどん大きくなって、将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ。」

国民年金は、元々自営業者などを加入者として創設されましたが、法改正で全国民を対象として基礎年金を支給する制度となりました。

もともと社会保険とは、保険のメカニズムで社会の構成員全体やその一部である労働者等を強制加入の被保険者とし、国などの公的機関を保険者として、被保険者や使用者などから集めた保険料を財源に、老齢等が発生したときに、被保険者やその家族へお金を提供する制度をいいます。

それは1880年代のドイツ第二帝政期にビスマルクによって導入され、現在では世界各国の社会保障制度の中核となっています。

社会保険は運営利益を含め、国民全体から集めてお金を巨大なかたまりにしたときはじめて得られる効果に期待するところが大きなシステムです。

そこに法によって巨大なお金のかたまりが現象として出現するとき、それを直接取り扱う官庁には誠実さと細心の注意が要求されるのはいうまでもありません。

にもかかわらず引き起こされてしまった現在の年金をめぐる取り扱い部署の混乱は、150兆円という巨大なお金の塊の威力をめぐって、まるで取扱官庁自身が酔いつづけてきたかのようです。

OBの野放図な放言も、社保庁が自前の書籍として記録しています。

今となっては国民年金法の75条は、自らの老後を賭けて保険料を支払う被保険者一人一人の顔を官庁がぞんざいに忘れるという現在の事態を、運営という側面から予言した条文であるかのようです。

 

 

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