イドラ:被告人は愚かであれ

「『はい』以外言うな」 富山の冤罪男性に取調官(朝日新聞)
「逮捕後、思い直して、検察官と裁判官に対し一度は否認した。その後、県警の取調官から「なんでそんなこと言うんだ、バカヤロー」と怒鳴られた。翌日、当番弁護士にも否認した。すると、取調官から白紙の紙を渡され、「今後言ったことをひっくり返すことは一切いたしません」などと書かされ署名、指印させられた。「『はい』か『うん』以外は言うな」と言われ、質問には「はい」や「うん」と応じ続けたという。 起訴後の弁護士は国選で、数回やりとりをしたが、すでに取り調べで罪を認めざるを得ないと思い詰めていた。「否認しても信じてもらえない」と、公判でも一貫して認め続けた。男性は「誰かが、がんばれがんばれと言い続けてくれたら、がんばることができたかもしれない」と無念さをにじませた。判決を言い渡され「申し訳ございませんでした」と言ったが、「やってもいないのに、何でこんなことを」と悔しくて涙が出たという。」

刑事訴訟法の319条1項をご覧下さい。

第319条〔自白の証拠能力・証明力〕

「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができない。」 

多くの誤判事例、再審無罪事例などを研究した結果、裁判官が虚偽の自白を見抜けなかったために事実認定を誤ってしまったケースが、決して稀ではないことが明らかになってきました。

そこで自白の証明力がより研究されるようになってきました。

最初、自白の証明力の判断方法として、自白内容の具体性・迫真性・詳細性に着目し、直感や印象でその証明力を判断しようとする方法が注目されました。

しかしこの方法は、しばしば誤った有罪判決の原因となってきました。

なぜならプロの捜査官が、裁判官に突き出すことを前提に物語式に作った詳細で迫真の供述調書において、印象で嘘を見抜くことは難しいからです。

そこで次に、自白の変転の状況、客観的証拠との対比などを用いて、分析的・理論的に自白の証明力を判断する方法が注目されてきました。

たとえば有名な冤罪、松川事件第1次上告審判決における多数意見は、被告人の自白の「供述の変遷や虚偽は、これを被告人が他意あって殊更に事実を曲げて供述したことによるものとみるべき筋もないとすれば、それは、同人が、あるいは、自己の経験しなかったことや記憶の薄れたことについて、取調官から尋ねられた際、ただひたすら迎合的な気持ちか、その都度、取調官の意に副うような供述をしたことによるのではないかとの疑」を指摘しています。

この判断方法の具体的内容は、分析・整理され、「注意則」として自白の証明力判断の指針として定着化しつつあるといいます。

”やってもいない犯罪を無実の人が自白するはずなどない”、そうした思い込みは、職業裁判官であってもいつか虜にします。

愚かさと戦わなければならないのはいったいどの席に座った者なのか、それを歴史と共に解明してきたのが刑事訴訟法という文章群です。

(以上参照:白取祐司 刑事訴訟法 日本評論社

 

 

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