果実に群がってゲシュタルトを崩壊させよう

「地方自治の深さわかった」…逮捕察知し木村知事(読売新聞)
「自らの逮捕が近いと察知すると、「地方自治の深さがわかった。今まで上っ面のきれいな部分を見て、オピニオンリーダーみたいにしてやってきたが、足元をすくわれた」と語った。事件の発端にもなった大阪府河内長野市の元ゴルフ場経営者・井山義一被告(56)(競売入札妨害罪で起訴)については、「付き合うたのが失敗。そうやなかったら、こんなことにはならんかったかも」と悔しがった。」

憲法の92条をご覧下さい。

第92条〔地方自治の基本原則〕

地方公共団体の組織及び運営に関する事項は,地方自治の本旨に基いて,法律でこれを定める。」

戦前、わたしたちの国の中央政府は、警察組織を完全に支配した内務省を通じて国民一人一人の日常生活を支配していました。

法律の規定上は、地方行政にもある程度の独立が認められ、自治体についても代議制が認められてはいました。

ただし実際には、市町村の公職の候補者として望ましい人は誰かということが中央政府によって指示があり、警察組織を動かしてこのような候補者の当選が確保されていました。

そして当選して公職に就いた人が、もし万が一中央政府の意向に従わない場合は、都道府県知事がこれを罷免することが可能でした。

(参照:日本国憲法制定の過程 高柳賢三 有斐閣

これがかつての、わたしたちの国における地方公共団体に対する理解にすぎませんでした。

そしてこのような状態の統治を中央集権国家とよびます。

現在世界を悩ませているどこかの国家のように、かつてのわたしたちの国も、極端な中央集権で運営されていました。

地球上を埋め尽くした帝国主義の時代が一応は終わり、誰も彼もが常にどこか上から物を言われる封建社会を終わらせるために、この国の地方自治は実体として本格始動させられることになりました。

戦後、初めて憲法に置かれた地方自治制度も、”封建”というそれまでの国家の風土を、確実に”民主”という色へ変えようという意図の下に設計されたものでした。

地方自治とは、簡単にいえばわたしやあなたの暮らすエリアの行政を、わたしたちの責任と意思で運営していく仕組みです。

もし中央で一気に国民全体をコントロールしたい権力者が新たに現れれば、地方が地方自身で自治を行う制度は非常に大きな障害となります。

その意味で、地方自治がその意味を十全に開花させることは、国家が再び極端な中央集権へ移行することを阻止するための制度的な土嚢になりえます。

しかし国民主権という思考モデルがいまだ絵空事と聞こえる時があるように、地方自治制度もまた、どこか”お仕着せ”と理解されている側面を否めません。

逮捕された知事がいうように、地方自治に深い闇が住む余地がいつも作られているのだとすれば、地方に与えられた権力の真価を、ほかでもないわたしたち住民が十分咀嚼できていないところから来るにちがいありません。

しかし本来、そこに群がるひとたちで食べ散らかしてしまうには、住民全員にとってあまりにも重大な価値が、92条の立法趣旨には込められているはずなのです。(私見)