臓器への小径を金貨で埋めよう

愛媛・臓器売買事件 担当医師『氷山の一角』(東京新聞)

「記者たちにその責任を追及された万波医師は、防止策の難しさをこう強調した。「いくら調べても患者にだまされることは防げないと思う。(臓器売買は)氷山の一角ではないかと、全国の医師が思っている。兄弟間でも金銭の授受はあるかもしれない。(移植の)背後で何が行われているかは分からない」 臓器移植法が一九九七年に施行されて以来、懸念されていた臓器売買が摘発された事態を関係者はどう見るのか。万波医師が言うように“氷山の一角”なのか。」

臓器移植法の11条の1項、2項をご覧下さい。

臓器の移植に関する法律

第11条(臓器売買等の禁止)

「何人も、移植術に使用されるための臓器を提供すること若しくは提供したことの対価として財産上の利益の供与を受け、又はその要求若しくは約束をしてはならない。

2 何人も、移植術に使用されるための臓器の提供を受けること若しくは受けたことの対価として財産上の利益を供与し、又はその申込み若しくは約束をしてはならない。(以下略) 」 

臓器移植とは、臓器の機能に障害のある人に臓器の機能の回復又は付与を目的として行われるものです。

それは不全な臓器を薬で治していくこととは違い、健康な臓器と一切取り替えてしまう点で根治治療であり、当然大きな治療効果が得られます。

ただし他人の臓器を移植するという行為の性質が、通常の医療行為と比較して臓器移植を非常に特殊なものにしています。

ましてや臓器を経済取引の対象とするなど、わたしたちの感情に著しく反しますし、それはお金持ちだけが常に命を助かるという結果を招き、さらに臓器移植の基本的な考え方である「善意・任意」という前提がただのキレイゴトに貶められます。

このため臓器移植法の第11条1項と2項は、臓器売買を完全に禁止しています。

なおその目的を達成するためには、臓器の提供・受領の前段階の行為である約束等についてもこれを禁止することが必要で、よって「要求」、「約束」及び「申込み」についても同じく明文で禁止しているのです。

これらの規定に違反して臓器売買に関与した場合、5年以下の懲役若しくは500万円以下の罰金に処され、又はそれらが併科されます。

(以上参照:逐条解説 臓器移植法 厚生省保健医療局臓器移植法研究会

臓器売買をとりまく法環境の素地には、「人間はどこまで自分の体を換価することが許されるか」というモラル、あるいは社会の安寧に関わる未解決の問題提起が横たわっています。

国家の出動を最小限に抑え、自己統治を最大限にすべきと考えるリバタリアンにとっては自己の臓器を売却することは自己の当然の権利だということにもなります。

極論を用いればそういうことです。

しかし世界の多くの先進国から遅れを取っていた日本が、臓器移植以外に治療方法がない患者を救うために平成9年やっと立法化したのが「臓器の移植に関する法律」だったように、欧米的合理主義による人の臓器の扱いと、儒教の色が人の意識にまだ濃く残る我が国のそれとの間には未だ相容れぬものが存在しているのも事実です。

持病に苦しむ人たちの立場に立てば、かならずしも現在の価値観は絶対正解ではないかもしれず、いつの日か人の体の扱いは場面場面でもっと合理的になる日がくるかもしれません。

しかし現在のところ臓器移植法の11条は、人の臓器が商材のように取り扱われる日がくることを警戒し、その派生理論をダムのようにせき止めています。

臓器を完全に自由に処分してよい、そういったリバタリアニズムを法が採用することは、あなたの臓器や角膜の経済的処分を求めて、あなたの債権者があなたを追い込む日を許容するやもしれません。

いや、もはや私たちの知らないその市場は、実はすでに完成していて法の外で運営されている可能性も大いにあります。

ただし私やあなたは、「金銭との見返りにあなたのいらない臓器をくれ」と頼まれれば、「それは法に反することかもしれない」と直感的に感じることができる生き物です。

何故どのような理論も借りず皆がそう感じるのかは、より優れた臓器提供のシステムを今後構築していく上で、無視してはならない鍵でありつづけます。

 

 

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