永山基準は遺族感情も9分の1なら考慮するといった

ヤギ被告に無期判決 広島女児殺害事件(朝日新聞)
「量刑判断の中で判決は、あいりさんが両親の愛情を一身に受けて育ったことや、幼い弟や家族思いのやさしい子だったことなどを詳細に記述。突然あいりさんを奪われた遺族の悲しみにも理解を示し、「死刑の適用基準を満たしていると考えてもあながち不当ではない」と述べた。 一方で、83年の最高裁判決が指摘した死刑選択の基準に触れながら、被害者の数や犯行の態様、前科の有無について検討。「被害者は1人にとどまっているほか、犯行が計画的でなく衝動的で、前科も認められない」と指摘し、「矯正不可能な程度までの反社会性、犯罪性があると裏づけられたとまではいえない」と述べて、死刑選択には疑念が残ると結論づけた。」

刑法の第11条1項をご覧下さい。

第11条(死 刑)

「死刑は,監獄内において,絞首して執行する。」

記事に言う83年の最高裁判決とは、俗に”永山基準”とよばれる判例をいいます。

永山基準とは、現在の司法の現場における事実上の死刑の適用基準となっているものです。

その事件は当時19才の少年だった永山則夫被告が、米軍基地内でけん銃を窃取、東京や京都で警備員を射殺、函館や名古屋でタシクー強盗を働いてタクシー運転手を射殺、その後東京で学校警備員をも狙撃したというものでした。

最高裁判所第2小法廷は昭和58年7月8日、「結局、死刑制度を存置する現行法制の下では、

犯行の罪質、

動機、

態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、

結果の重大性ことに殺害された被害者の数、

遺族の被害感情、

社会的影響、

犯人の年齢、

前科、

犯行後の情状

等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大あつて、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものといわなければならない。」のだと、死刑に至る九つの基準項目を並べたものです。

そのうえで具体的に永山事件にあっては

「社会的影響は極めて重大」で

「動機も・・・同情すべき点がない」、

「殺害の手段方法についていえば極めて残虐」、

「遺族らの被害感情の深刻さもとりわけ深」く、

「犯行時少年であつた」ものの「一九歳三か月ないし一九歳九か月の年長少年であり・・・一八歳未満の少年と同視することは特段の事情のない限り困難」、

よって死刑が妥当だと結論づけています。

人を守るための法律によって、人の最後の財産である生命を奪う死刑という制度は、考えれば考えるほど自己矛盾を孕んだ法の一撃です。

法によって暮らす私たちには、絶えずその本質の是非を問い続ける義務があります。

永山基準とよばれる83年判例も、「死刑が人間在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、誠にやむをえない場合における窮極の刑罰であるこにかんがみると、その適用が慎重に行われなければならない」ことは認めています。

しかし同時にその執行を焼けるような思いで待ち望む遺族感情・社会感情は現在の日本にもはっきりと存在し、その安寧を維持するためにはいまだ「現実として必要」な装置なのだということもまた法の重大な構成要素です。

今回、永山基準と呼ばれる網の目は、幼い子供を殺した男を死刑の沼に落とす手前ですくい上げました。

しかしそれは23年前に純粋に司法関係者によってだけ編まれた法の網の目です。

司法に一般感覚が持ち込まれる裁判員制度を目前に控えて、無期懲役の判決に対して反論の声があまりに高く続くなら、基準の新たな編み直しがまた必要な時期を迎えている可能性もあります。



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