金魚すくいにおけるタクシスとコスモス

無念…金魚すくい大会優勝取り消し処分無効訴訟ヤブれる(サンスポ)
奈良県大和郡山市であった金魚すくい大会でルール違反をしたとして優勝を取り消された埼玉県熊谷市の男性が、主催者の「全国金魚すくい競技連盟」に処分の無効確認などを求めた訴訟の判決で、奈良地裁は7日、男性の請求を棄却した。阿部静枝裁判官は判決理由で「男性は外部から隠して持ち込んだポイ(和紙のすくい網)を使用したと認められる。競技の公正を図る上で重要な違反行為」と述べた。判決によると、男性は平成15年8月に開催された「第9回全国金魚すくい選手権大会」の団体戦で優勝したが、ビデオにより、男性が準決勝でタオルとうちわの間に用具を隠し持ち込んでいたことが発覚。主催者は優勝と過去2回の個人戦での優勝記録を取り消し、永久出場停止処分とした。男性は「予選で用意された用具を使用し『主催者が用意した物』という大会規定には反しない」と主張していた。」

憲法の89条をご覧下さい。

第89条〔公の財産の支出利用の制限〕

「公金その他の公の財産は,宗教上の組織若しくは団体の使用,便益若しくは維持のため,又は公の支配に属しない慈善,教育若しくは博愛の事業に対し,これを支出し,又はその利用に供してはならない。」 

たとえば一つの条文の意味を解釈するにしても、その解釈方法により、吐き出される結果はかなり異なってしまうこともあります。

たとえば憲法89条後段は公の支配に属さない教育事業への公費支出を禁ずる一文ですが、その「公の支配に属さない」ことを通常通り文言解釈すれば「国公立でない学校」ということと解するのが素直です。

しかし現実には私学に対しても国家は多大な予算を与えています。

これは高校、あるいは大学という教育機関に対して国費で援助するということに非常に大きな意義があるため、本来およそ「公の支配」にあるとは思えない私的な事業、私学への援助をも、公の支配の意味を相当程度拡大解釈している例です。

ひとつの時代に条文という限られた文字数に込められた思いを、各時代時代で正確に再現していくためには、人にとっての幸福の意味をいつもさぐりながら条文解釈を展開することが必要になります。

私的事業といえども国が教育の現場に公費を与えていくことがあなたやわたしにとって幸福であるならば、条文に縛られることなく解釈していく必要があります。

経済学者ハイエクは「法と立法と自由」のなかで、秩序には計画的に策定された「組織のルール」(タクシス)と、自己増殖的に現れた「自生的秩序のルール」(コスモス)の二種類があることを言及しています。

そして自生的秩序のルールのほうが、誰もその特定のまたは具体的な内容を知りもしないし予見もしない、一つの抽象的な秩序を目指すことを意味する一方、組織のルールのほうは、その組織の命令者が目指す特定の結果に資することになるのだとしています。

そのうえで一見不明瞭な自生的秩序こそが、「目的」を超えた「成長」を社会にもたらしてきたのだと解析しています。(ハイエク全集8 法と立法と自由 ルールと秩序 春秋社)

ハイエクに習えば人の集まりは、フェアプレイを要求する条文がないことで、自生的秩序がフェアプレイの空気を作っていくことになります。

金魚すくいで3年連続チャンピオンだったはずの人が原告になった訴訟は彼からチャンピオンの称号を全て剥奪した処分を有効としました。

原告の主張は「全国金魚すくい競技連盟標準公式規程には”用具は全て主催者において用意したものを使用するものとする”とだけあり、予選で主催者が用意した用具を本戦に隠し持っていたからといって文言解釈すればルール違反とはいえまい」というものだったようです。

奈良地裁は不正を認定しましたが、その前にそもそも、競技規定を文言解釈するということ自体が、金魚すくいという風流な行為を愛する小コミュニティの自生的秩序が目指す場所とは全く別のところに向かうベクトルであることを文脈として認定しています(私見)。