空手家の遺言と山中の見えない秘伝書

シンガポール武道家一族:空手家探し青森の雪山へ(毎日新聞)
「事情を聴いたところ、亡くなった武道家はシンガポールで空手などを教えていた。しかし、2人の息子は武道に興味がなく、道場にあった「空手の秘伝書」も弟子の一人に盗まれてしまった。後継ぎ問題に苦慮した武道家は死の間際、「青森県の相馬村に極真空手の伝承者がいる。彼に会い、秘伝書を譲り受けてほしい」と遺言したという。」

民法の960条をご覧下さい。

第960条〔遺言の要式性〕

「遺言は,この法律に定める方式に従わなければ,これをすることができない」

遺言とは、人の最終の意思を尊重し、死後その意思の実現を保障するための制度における、その意思をいいます。

遺言とは、つまるところ私有財産制度の財産処分の自由の延長に存在する制度です。

しかし一方でそれを偏重することは、生きゆくものの財産や身分関係に大きな影響を与えますので、遺言に無制限な自由を与えるわけにはいきません。

つまり遺言という制度を解体すれば、法哲学上かなり難しい問題を含んでいることがわかります。 [参照:自由国民社 図解による法律用語辞典]

そこで民法は相続分の指定(902条)や認知(781条2項)等、限られた範囲にだけ遺言の効力を許し、それ以外の事項についての遺言は日本の民法上効果を認めず、遺訓とのみ呼ばれることになり、もはや道徳的な効力しか発揮しないことにしています。[参照:法律学小辞典 有斐閣]

さらに民法960条は遺言に厳しい形式要件性を要求し、それを外れた遺言に効力を認めないことで生きゆく者の生活を死にゆく者の言動でむやみに乱されないよう防禦しています(私見)。

シンガポールの空手家の遺言は、残された家族を日本まで渡らせ、雪山で遭難までしかける事態を招来しました。

彼の国の家族法はきっと強力な遺言の強制力を認めているのか、あるいはとても家族に愛されて亡くなったお父さんだったかのどちらかであるはずです。

今現在雪山の山中に、遺言された空手家や秘伝書は存在していないそうです。

空手家の遺族が、秘伝書やそれに準ずる絆を伝説の空手発祥の国で見つけることができるかどうかは、ニュースを知った日本人空手家相互間のネットワークの自由意思に委ねられています。

遺言の真意も案外そんなところにあったかもしれません。