官吏は帝にだけ平伏した

中国人の元労働者らの請求棄却(nikkansports)
「第2次大戦中に中国から強制連行され過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者や遺族が国と建設会社4社に総額1億4000万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決で、長野地裁の辻次郎裁判長は10日、請求を棄却した。判決理由で辻裁判長は、強制連行・強制労働を国と建設会社による不法行為と認定した上で、行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」などを適用。国家賠償法施行前の国の行為に賠償請求はできないという「国家無答責」の法理についても、国の主張通り認めた。」

憲法の17条をご覧下さい。

第17条〔国および公共団体の賠償責任〕

「何人も,公務員の不法行為により,損害を受けたときは,法律の定めるところにより,国又は公共団体に,その賠償を求めることができる。」 

国家無答責の法理とは、国家の違法な公権力によって生ずる私人への被害に対し、国家は不法行為責任を負わないとする考え方のことです。

ひとつ前の時代の憲法大日本帝国憲法ではこの考え方が支配していました。

国家無答責の法理は、「国家が違法に他人の権利を侵害することはありえないので、国家は責任を負わない。もし他人に損害を与える行為があったとすれば、それは国家の行為ではなく、職務を逸脱した公務員の個人責任が生ずるだけである」という考え方が理論的根拠になっています(松本克美 日本の戦後補償訴訟の現状と課題 立命館国際地域研究 第十七号)

すなわち、それは家父長制的官僚国家観を基盤としなければ成り立たないロジックです。

福岡地裁は平成14年4月26日、やはり大戦末期の強制連行による訴訟において、国家無問責の法理の適用を肯定、賠償請求を退けています。

「・・・明治憲法下においては,国の権力的作用について民法の適用を否定し,その損害について国が賠償責任を負わないという,いわゆる国家無答責の法理が,基本的法制度として確立していたものというべきである。

このような法制度については,批判もあり,その後,「何人も,公務員の不法行為により,損害を受けたときは,法律の定めるところにより,国又は公共団体に,その賠償を求めることができる。」と規定した憲法17条等により,根本的に否定されたものではあるが,

大日本帝国憲法下の我が国の法制度の下では,国の権力的作用による個人の損害については,国家の賠償責任が認められないとの法理が採用されていたのであり,

その後,憲法17条が,国又は公共団体の損害賠償責任の根拠を明らかにし,同条に基づいて,国家賠償法が制定されたことによって初めて,その損害の救済が図られることになったものである。

そして,国家賠償法附則6項には,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」との経過規定が定められているところ,

従前の例」に相当する大日本帝国憲法下の法制度においては,前記のとおり,そもそも国家の賠償責任を肯定すべき実体法上の根拠法令がなかったのであるから,

国家賠償法が制定された現時点における解釈としても,同法の施行前である被告国による本件強制連行及び強制労働当時においては,被告国が,民法の規定によって,その権力的作用による損害について,不法行為に基づく損害賠償責任を負担するものと解することはできない。

そして,被告国の本件強制連行及び強制労働が,日本国の軍隊による戦争行為という権力的作用に付随するものとして,国の権力的作用に該当すると考えられることに照らせば,

本件においては,被告国が,当時の民法の規定に基づいて,不法行為に基づく損害賠償責任を負担することはないと解される。」

国家無問責の法理適用の肯否は、戦時中という狂気の時代の行為に、平時の法理を通すか通さないかという問題に集約されます。(私見)

なぜならそもそも「国家無問責」という条文は戦前にあっても存在せず、それは単に判例理論、または官吏が国民を見下ろした時代の空気感でしかなかったからです。

数々の戦後補償訴訟においては、判例も国家無問責の法理への態度を統一しかねています。

しかし国家無問責の法理が家父長制的官僚国家観という盲目の理論によってたつものならば、現代においてそれは用い方次第で、ただのトンネルにならないか注意が必要です。