「現存する屋上観覧車で最も古い、三越名古屋栄本店(名古屋市)にある屋上観覧車が20日で営業運転を終え、約50年の歴史に幕を閉じる。」
最低賃金法の第5条をご覧下さい。
第5条(最低賃金の効力) |
世帯を構えたばかりの若いお父さんは平日のお勤めの疲れもものともせず、小さなこどもの喜ぶ顔みたさにかつてこの名物観覧車を訪れたかもしれません。
そしてデパート屋上にあるこの華奢で適度にヤレた美しい観覧車にもし夕刻に乗り込めば、オレンジに光る名古屋の町並みがより高い空から眺められたことでしょう。
観覧車はどんなややこしい関係の家族が乗り込んでも、彼らをドアの向こうに閉じこめて、夢の景色が見られる頂上までゆっくりと運んでいってくれます。
そして一旦自らも屋上より高い位置のゴンドラで景色となった家族は、別の家族がのるゴンドラを押し上げるためにも、また地上に戻ってきてそのドアを開け、お父さんは月曜からのお仕事に戻ることになります。
ところで貨幣というものの仕事は、どこかこういった観覧車に似ています。
労働力は使用者というゴンドラに吸引されると観覧車の頂上で貨幣という数字に象徴化(賃金の支給)され、その後再びそれは地上に下がって社会に再投資されます。
このときあまりに支給される貨幣の額が不条理であるなら、ゴンドラに乗り込む労働者が果てるため、観覧車はその回転をやめてしまいます。
そして観覧車が回転しないことには、社会の基盤への再投資がない以上、国全体の底上げができなくなってくるのです。
最低賃金制は、こういった自体も憂慮し、国家が賃額の最低額を決めてしまい、使用者に法で強制する制度のことです。
本来、契約自由の原則が支配する民法においては給料の額は使用者と被用者の合意で自由に決められるはずですが、現実にそれを放任してしまえば、雇う側の使用者と雇われる側の被用者間でかならずしも公平な支給額が決められるわけではありません。
このため、賃金支給の場面では例外的に国家が賃金決定に介入したものです。
最低賃金法は、使用者に被用者が人間らしく生活できるレベルの賃金を支給すべきことを強制しています。
しかしそれを支払って更に、会社に残った余剰利益については、使用者の特権として自由にこれを処分することができます。
ちょうど観覧車でゴンドラが下からどんどん上がってくるほど、次々にゴンドラが上から降りてくるように、貨幣という労働力のメタレベルへの変換装置は、労働力というゴンドラから観覧車自体の回転力を見事に吸い上げているのです。
しかしそうだとしてもお父さんは、喜んでゴンドラに乗り込むことでしょう。
彼が最終的に見たいのは貨幣という美しい夜景のほうではなく、ゴンドラから目を輝かせて夜景を見る子供の顔のほうだからです。
そして結局それが社会を回転させるもっともプリミティブな原動力なのですから。