「総務省は27日、自殺サイトなど「有害情報の温床」ともいわれるインターネットを健全に利用するために、ネットが持つ匿名性を排除し、実名でのネット利用を促す取り組みに着手する方針を固めた。」
プロバイダ責任制限法の第4条をご覧下さい。
特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律 一 侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき。(以下略)」 |
プロバイダ責任制限法とは、プロバイダの知らないところで誰かのプライバシー侵害や著作権侵害があったときにはプロバイダの損賠責任を負わなくてよいことが明示された法律です。
同時にこの法律ではインターネット上であなたがプライバシー侵害被害にあったとき、プロバイダに情報開示を求めることができると認めています。
しかし誰も彼もがちょっとカチンときたといってプロバイダに情報開示を請求できるとしてしまうと、本来開示すべきでない時まで情報が開示されてしまうおそれがあるため、4条1項が「侵害情報の流通によって開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき」という要件を要求しています。
発信者情報開示請求権は、発信者のプライバシーや表現の自由、通信の秘密という憲法上の権利によって一定程度制限されているのです。
ただしこの請求者への厳密な要件要求は、場合によって被害者の請求を事前排斥することに繋がることも懸念されますが、総務省の逐条解説によれば「訴訟における請求者の主張立証により権利侵害の事実は明らかになるため開示される場合が不当に狭くなるということはない」と考えられているようです。
しかしやはりこの点には争いがあり、責任追及手段の明白さをネットにも要求する立場からは、請求者への要件を緩和するべきだと主張されています。
今回のニュース元でもあり、プロバイダ責任制限法の出元でもある総務省は、通信関係を牛耳ってきたかつての郵政省等が統合されてできた省庁ですが、「官庁はやはり自身の管理の届かない範囲が拡大していくことを不愉快に思っているのか?」受取手によってはそんな印象を与えそうなニュースだといえそうです。
そのためネット各地で侃々諤々これについて論が立っています。
「ネットには有害情報が溢れている」インターネットについて管理肯定論が展開されるとき必ず添付される中華料理屋さんにおける味の素のようなこの視点は一面で事実をついています。
たしかにそれらの情報はネットを検索すればたどり着けるのでしょう。
しかし私は個人的には、誰もが匿名のまま情報を発信でき、そこに誰もが自由にアクセスできるという現在の日本のネット現況は、一般人がはじめて手に入れた、企業や国家など「力」に対抗、あるいは情報交換するための奇跡的な状態だと感謝に近い感情を抱いています。
そして「状態」と申し上げたのは、このネットという手段が国家によっては制限・監視されている国が現にあり、来年の日本も現在と同じ状況でネットという手段を享受できるかどうかは誰もわからないからです。
私たちは生きていくうちに、現象は一つでも、それに対する認識は人それぞれ、千差万別であることを学んでいきます。
たとえばあなたはこんな動物を見たことがあるでしょうか。
胴体から気味が悪く長細い触手のようなものが前後左右に五本伸び、それらの触手には芝生のようにびっしりと毛が生えています。
五本のうち四本の触手は途中で奇妙な形に折れ曲がり、その先でまた見たこともない形でバラバラに分かれます。
五本のうち一本は短く、不必要なほど丸くふくらみ、七つの裂け目ができたと思えばそのうちの二つの裂け目の下ではゼラチンのような球体がうごめき、一つの裂け目のなかではヒルのような別の生き物がのたうちまわって動いています。
・・・人間です。
このように受け取り手によって、どのような事象も美しくも醜くも映りますが、抜き身の刀のようなネットの直接性がある種の立場の人たちにとっておぞましく写ったとしても、私たちが奇跡のように手に出来た権力へのカウンターカルチャーを、一定方向の感受性の出した結論を理由に権力の手下に渡してしまえば、代替手段を手に入れられる確率がどれほどあるのか、科学に明るくない私にはわかりません。
もっとも私自身が突然だれかの悪意によってネットで権利侵害を受けたとすれば一般論をぶっている余裕はなくなるでしょうが、まさにそんなときのために用意されたのがプロバイダ責任制限法ですので、その意味で4条1項は今後も、より感度の高い法になるよう状況を見ながら修正作業が要求されていくとは思います。
しかしあなたはこれからも、個人と個人の問題としてネットの暗い面をフォーカス・アップした記事を見たら、同時に昨今やたらと情報開示を請求されて汲々としている官庁や、かつてユーザをぞんざいに扱った音声ファイルをネットに公開されて蒼白になった大企業の事件を時々想起してください。
もしそのニュースに企業、報道機関、政府、他国政府といったかつて逆らう者のいなかった権力達による意向が一瞬でも匂ったなら、私たちが初めて手に入れたほぼコストフリーの自由表現手段から匿名性という雷管を抜いてしまうことに一旦警戒してみるのは、決して無駄なことではないと思います。
法理メール?