「もっと貪欲に行くべきだった」大黒将志=サッカー日本代表
「サッカー日本代表は22日(現地時間)、コンフェデレーションズカップのグループB最終戦でブラジル代表と対戦。大黒将志選手(G大阪)のコメント。(この大会で得たものは)こういう相手とでも、いい動きができればやれるな、と思った。3番(ルシオ)は、でかいけど足が遅いと思った。日本のスピードでも十分に勝負できる。」
憲法の13条をご覧下さい。
第13条 「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」 |
人はそれぞれ、育った環境や両親や大人の言動などから、自分についての絶対的真実を非常に幼い時期に内心にプログラムするといわれます。
その筋書きに従って着々と人生に良くも悪くもプログラム通りの結果を出していくのだとか。
その上、一旦その意識が底心に沈み、その上に批判的意識が何重にも折り重なる年頃を過ぎると、世に数多の楽観的なアプローチメソッドが売られていますが、現実にはそのプログラムを書き換えるのは至難の業なのだといわれます。
いわば放っておけばわたしたちはずっと自分に書き込まれた自己イメージに踊らされ続けるようです。
それが心の中のファクターである以上、自己イメージのコントロールの必要がある時には、そこに手をかけられるのはあなただけでなければなりません。
(そうでないとき、あなたは他人のロボットです。)
また理由があって他人に手を掛けさせる許可を与えることも、当然あなた自身によらなければなりません。
この、自己の内心を構成する要素が他人からコントロールされないという趣旨は、憲法13条にうたわれる「個人の尊厳」の重大な一側面です。
憲法学上、プライバシー権という言葉がありますが、これは13条にいう個人の尊厳という思想下で、一人一人の内心や私生活に関する事象は他人からむやみに干渉されないためのブロックがまず認められて当たり前であるという考え方です。
いいかえればプライバシーという思考のツールは、平民は国家の弾倉に詰め込まれる弾数のひとつとして生まれてくるという一時代前の思想の順番を、ちょうど逆にする働きを担います。
プライバシー権には、国家の幸福が平民を押しつぶしながらそれを実現しようとするよりも、私たちひとりひとりが本当に望む結果を得られるような内心を再構築していく作業のほうに委ねたほうが、効果は広く国全体に及び、また実現は易いのだという思想が含まれています(私見)。
大黒はカナリア軍団の新エースに向かって「足が遅い」と言い放ち、サッカー大国ブラジルのゴールネットを何度も揺らしたという新しい現実を手に入れました。
コンフェデレーションズカップの歴史は書き換えることが出来なかったかも知れませんが、ジーコジャパンは真の意味で書き換えが難しい、そのブルーのユニホームのゼッケンの奥にあるものを見事に書き換えるとこに成功しています。
法理メール?