邦人拘束:多国籍軍と一体視、狙いは自衛隊撤退要求か(毎日新聞)
イラク特措法17条をご覧ください。
イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法 第十七条 (意訳:自衛隊とその関係者以外の防衛以外には火力は使うな) |
イラクで日本人が捕まり、そこに自衛隊が駐留しているのですから、世界第14位の売り上げを誇る軍事メーカー、三菱重工製の戦力をもって救出に向かってもいいような気がするのですが、イラク特措法はその銃器が火を噴くタイミングの範疇に一般日本人の救出を入れていません。
イラク特措法は以前の周辺事態法でまかなえなかった米軍への武器供給まで視野に入れた時限法であり、それは直接的自衛をする隊がとる行動としてはあまりにも論理的な飛躍が要求される内容ですので、法律の寿命自体とともにその内容にも現地において必要最小限の行動しかとらないことがイラク特措法には書かれているのです。
もっとも自衛隊を日本の外で全く活動させないことが、すなわち日本の恒久的な平和を生む保証などありません。
たとえばマンションに暴力団の事務所ができたとき、あなたの家庭だけが自治会による暴力団の追放運動に参加しないことがあなたの家庭がその後もずっとマンションで平和に暮らしていくことの唯一の選択肢である保証はないからです。
イラク特措法は「自衛隊の海外派遣は是か非か」という単純論点を超えた現実対応の道として時限的に成立しています。
問題はかつてのイラクはマンションにおける暴力団だったのか?という点です。
イラク特措法はその第1条で「民主的な手段による統治組織の設立等に向けたイラクの国民による自主的な努力を支援し、及び促進しようとする国際社会の取組に関し、我が国がこれに主体的かつ積極的に寄与するため」とその設立趣旨を述べています。
しかし民主主義がその国の人たちにとって最高の選択肢なのだと、外国の人たちが決めてしまうことには個人的には違和感を感じています。
長く絶対王政が続いた世の中のあとでは、民主主義の導入は私たちを解放するために大変実効性があり、これがためにことさらに光り輝いて見え、やもすると民主主義はかつての王政のように神聖視されますが、一国による民主主義の輸出・強制が新しい形の世界王政でない保証はどこにもありません。
なにより日本という家庭とイラクという家庭は、マンションでいえば棟も違えば階も違い、本来家庭の方針に口を出す立場にありません。
また日本政府もそれは十分理解した上で、自治会活動に参加するための家庭会議を開きました。
それがイラク特措法ですので、そこには家庭の理論をマンション内では必ずしも展開できないジレンマが条文内には見え隠れしており、今回の拘束された邦人もそのジレンマの狭間に落ち込んでしまって自衛隊による救出は実現できません(私見)。
かつてハイエクは、「デモクラシーとは熱狂的な崇拝の対象になるような完全無欠な主義などではなく、政治的・経済的な個人の自由を保証するための功利的な制度なのである」と述べました。
それが絶対価値ではない一面を証明するために、民主主義を非常に悲観的に表現することが許されるなら、それはいわば飛行中のパイロットに対して、たとえ客室乗務員を介した間接的なものであるにしろ、乗客席から高度を上げろ、いや下げろといった指示が飛んでくるようなものなのです。
法理メール?