646万人死んで信教は自由になった

信者の12歳少女に性的暴行 新興宗教牧師を逮捕(南日本新聞)

宗教法人法1条2項をご覧下さい。

第1条(この法律の目的)

「2 憲法で保障された信教の自由は、すべての国政において尊重されなければならない。従って、この法律のいかなる規定も、個人、集団又は団体が、その保障された自由に基いて、教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を行うことを制限するものと解
釈してはならない。」

宗教法人とは宗教団体のうち法人となったものです。法人とは法的に人格を与えられ、その集団名義で権利義務の主体になれることを意味します。

つまり宗教法人格を得ることの主眼は団体財産の保護にあるともいえます。

にもかかわらず信教の自由が憲法に本籍を置くことの理由を知るには、私たちの歴史を振り返る必要があります。

私たち一人一人の背中には、国家による特定信教(神道 しんとう)の強制が世界大戦への火蓋を切ったという大きな傷跡があります。

そのため戦後日本政府が二度も抵抗したにもかかわらず、GHQの先導により、国家権力先導型だった明治憲法は、国民一人一人に価値原理を置く現憲法に大きく改変されることになりました。

その帰結としてどの宗教を信じるかは一人一人の自由に任されることになったのです。

信教の自由の真価はマイナスから出発していることにあります。

しかし当時の人々は、果たして国家に神道を強制されているという意識があったでしょうか。

おそらくそうではなかったはずです。

当時の人々はその選択を心の底から自分が選択した価値観だと信じたのだし、またそうするしか正気を保つ手段がなかったのだと思います。

エーリッヒ・フロムは既に五十余年以上も前に、人には元来権威的思想に服従しようとする属性があることを発見しています。

人間内部のそうした装置により、当時の人たちは互いが互いを恫喝しあい、あたかもそれが自分の選択であるという強迫観念に近い感情に駆られていたはずです。

現代でもそういう国家はあります。

そういった意味で、国に自由のかたちを保つ「信教の自由」に立脚した宗教法人法は、いかなる宗教も信じない私にとってさえ未来のための重要なシェルターだといえるのです。

せっかく私たちが手中にしたその大切なシェルターの中で、その宗教主催者が幼い子供に地獄を見せたとすれば、「やはり国家宗教のほうが間違いないのだ」という誤った感覚を社会に敷衍し、古い形の支配法を再び組み立てさせる素地を蒔く可能性さえあります。

つまり法律的に言って、それは二重に唾棄すべき行為なのです。
 

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