ベアテがくれた明日の笑顔

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ベアテ・ゴードンさん死去 日本国憲法の男女平等条項起草

「 【ニューヨーク共同】第2次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)民政局のスタッフとして日本国憲法の起草作業に携わり、男女平等に関する条項を書き上げた米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓がんのためニューヨークの自宅で死去した。89歳だった。」

憲法の第24条をご覧ください。

 

第24条〔家族生活における個人の尊厳と両性の平等〕
 婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。

 配偶者の選択,財産権,相続,住居の選定,離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならない。

 

(以下参照文献:ダグラス・ラミス 憲法は、政府に対する命令である

それがどこの国であれ、憲法制定の瞬間は特別な時間です。

憲法自体を制定する場合、憲法の上にもう一つのはっきりした規準は存在していないため、新しい憲法を制定することは、その国の人の権利義務の形をなぞることだからです。

憲法のそれぞれの条項はその後の国の文化に大きく影響を与え、たとえば人権条項の有無によって、国の文化はかなり変わります。

日本国憲法第24条が定めると解釈されている男女平等条項もその典型例です。

自分には権利がないと思い込んでいる女性と、あるとわかっている女性の立ち居ふるまい、人とのつきあい方、さらに、歩き方、声の出し方など無意識にかわってしまうのは、各国の憲法とその国の女性の振る舞いを比較すれば明らかです。

憲法が女性の権利をどう定義するかにより、女性であるあなたが明日何度会社で自然に微笑むことができるのか影響をうけ、私やあなたの国が戦争をするかしないかという憲法的定義が、個人の一日の過ごし方に深い影響を与えていることは、いうまでもありません。

つまりこれらを突き詰めれば、憲法こそが一つの国民を形成するといえるでしょう。

どこかの国の権力を拘束する憲法という枠組みが再定義されるとき、私たち自身はただ従うべき存在である臣民から、自分や自分の愛する人の存在の仕方を考える国民へと立場を変貌することになるのです。

これは憲法の制定以前にその国民が存在していたとしても、新しい憲法を形成するなら新しい国民をあらためてつくり出すことになるということです。

 

今般お亡くなりになったベアテさんがGHQ内において起案したといわれる日本国憲法草案のその原文は以下の通りでした。

Ⅲ SOCIAL AND ECONOMIC RIGHTS

Article The family is the basis of human society and its
traditions for good or evil permeate the nation. Hence marriage
and the family are protected by law, and it is hereby ordained that
they  shall rest upon the [undisputed] legal and social equality of
both sexes, upon mutual consent instead of parental coercion, and
upon cooperation instead of male domination. Laws contrary to
these principles  shall be  abolished, and replaced by others viewing
choice of spouse, property  rights, inheritance, choice of domicile,
divorce and other matters pertaining to marriage and the family
from the standpoint of individual dignity and the essential equality
of the sexes.

(出典:高柳 賢三,日本国憲法制定の過程―連合国総司令部側の記録による (1)

 

日本語が堪能だったフェミニストベアテさんの草案は、焦土の匂いもまだ生々しかった私たちの小さな国に、新しい権利を確保された新しい女性を生み出しました。

その憲法をわたしたちがまた再び改正するなら、それはあなたや私そのものの存在の仕方を、再び定義し直すことを意味しています。