青い光の黄金比

社説:原子力基本法 「安全保障目的」は不要

原子力行政の憲法とも言うべき原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」との目的が追加された。真意はどこにあるのか。将来、核兵器開発に道を開く拡大解釈を招かないか、原発をはじめとする原子力の開発・利用の有効性を強調する意図なのか??などなど、さまざまな臆測を呼んでいる。」(毎日新聞

改正原子力基本法の第一章第二条をご覧ください。

 

第一章 総則

第2条(基本方針)

原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。

2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。」


 

日本で原子力という言葉が使われるとき、その周辺ではこれまで何が起きてきたのでしょう。

この点、ドイツでウラン核分裂が公表された1939年から,原子力政策が始まった1955年までの日本の核開発の歴史を正確にたどった「日本の核開発:1939‐1955―原爆から原子力へ 」(山崎正勝著)という著作がありますので、以下当該書籍から参照させていただきます。

「核開発」という言葉は、通常は核兵器開発の意味で使われ、一方で「原子力開発」には、平和的な利用を指す慣わしがあります。

戦前・戦中の日本のウラン研究開発は、陸軍と海軍の下で行われていましたが、戦後の原子力政策は軍事利用と平和利用との間で揺らぎつづけてきました。

しかし1955年12月の原子力基本法の制定によって、日本は国内法によって核技術の軍事転用を禁止した世界で最初の国になっています。

現実に、原子力基本法衆議院本会議の審議で、社会党から賛成発言を行った岡良一は,のちに次のように書いています。

「この基本法の精神をひと口にいうと次の二つである。

一、日本の原子力の研究、開発、利用は平和目的にかぎる。

二、これをすすめていくには、あくまでも公開の原則にたち、かつ民主的、自主的に進める。

私もこの法律を作るために、ずいぶんあちこちの国の原子力に関する法律を調べたが、こんな堂々たる精神をうたった法律は、世界のどこにも見当らない。」

冷戦の下で,国連を中心とした原子力の国際管理が進展せず,核兵器の全面禁止条約が締結されない時代、日本は国内法による核の軍事利用規制を実に世界ではじめて行ったのです。

ただ1955年の段階で形作られた日本の原子力政策・行政の枠組みは、一方に原子力基本法を持ち、他方に日米原子力協定を持っており、しかもこの枠組みの二つの柱は相互に矛盾してしまっています。

原子力の軍事転用を禁じた原子力基本法の精神と、日本学術会議原子力三原則はしばしば日米原子力協定の下で軽視され、時として完全に無視されてきました。

原子力基本法二条一項に唱われた、『公開』、『民主』、『自主』の原子力三原則は、産業という先立つものの前に時に画餅がごとく軽んじられ、原子力という言葉の周辺に閉鎖的な体制が形成されていきました。

それはもはや存在を自己目的化した公共事業のようになり、その惰性によって公開的でも民主的でも自主的でもなくなっていったのです。(参照ここまで)

 

2011年3月11日、東日本大地震直後発生した、東京電力福島第1原子力発電所の事故は、1950年代に始まった日本の原子力事業をとりかえしのつかない災害に導いています。

そもそもわたしたちの原子力基本法は、先人が議論の果てに、非常に美しい覚悟を世界に掲げていました。

そしてこのたび付け足された二条二項に、そのプロポーション黄金比をくじかせないのは、今を生きる私やあなたの当事者意識にほかなりません。