自己と他者の連続性が見えない人が笑った

性描写漫画「一利もない」=規制条例の成立で-石原都知事

「東京都の石原慎太郎知事は17日の記者会見で、過激な性描写のある漫画などの販売を規制する都改正青少年健全育成条例が成立したことに関連し「世の中には変態ってやっぱりいる。気の毒な人で、DNAが狂っていて。やっぱりアブノーマル。幼い子の強姦(ごうかん)がストーリーとして描かれているものは、何の役にも立たないし、(百)害あって一利もない」と述べ、規制の必要性を改めて強調した。」(時事通信

憲法の99条をご覧ください。

第99条[憲法尊重擁護義務]

天皇又は摂政及び国務大臣,国会議員,裁判官その他の公務員は,この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」


戦争に負ける前の憲法には、その上諭に「茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム 」とありました。

また上諭の最後段には「朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ為ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ」ともあったのです。

つまり旧憲法ではわたしたち国民ひとりひとりもまた、憲法に対する忠誠の義務を負うべしとされていました。

しかし現在の憲法99条は、国家の機関として国家の作用を担当し、直接または間接に憲法を運用する任にあたる天皇および公務員は、一般国民とは別の意味で憲法と関係する者であると規定しています。

そしてこれらの人たちの特別の憲法尊重・擁護義務を強調することで、憲法の最高法規性を確保しようとする条文です(清宮・憲法126頁)。

戦争に負けて私達が手にした新憲法99条において、国民が憲法尊重擁護義務の主体にあげられていないことには百里基地訴訟判例という有名な裁判所の判断があります。

憲法99条は、公務員の憲法遵守義務を規定しているが、それは本条が第10章最高法規の項の中に規定されていることからみても明らかなように、

憲法が国家の最高法規であることから、特に「天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官」等、

日本国民の総意により又はその厳粛な信託に基づき、国家の象徴としてあるいは国政を担当する重責にある公務員として、憲法の運用に極めて密接な関係にある者に対し、憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎないものであって、

国政を担当する公務員以外の一般国民に対し、かかる義務を課したものではない。」(東高判昭56・7・7判時1004-3)

つまり現在の憲法は公務員に対する命令であるという解釈です。

わたしやあなたの暮らすここ日本は民主主義国家で、国民が選出した代表者が国政を執り行います。

そして実際の行政はおまわりさんを含めた公務員が担いますが、公務員であるおまわりさんには憲法99条により厳重な憲法尊重擁護義務が課せられています。

しかしどのような枷をかされようとも、権力はいつも国民を監視・支配しようと機能・肥大化を指向せざるをえません。

なぜならばわたしもあなたも、人間は一人残らず自らの手に権力という甘露を垂らされれば、それを濫用せずにはいられない存在だからです。

だからこそ近代民主主義思想は、いったん権力の理論的根源を市民の社会契約に求め、その代理行使を公務員達に時に拳銃とともに委託しました。

その一方で権力の増殖欲求を警戒して、権力以前に人権思想を確立させることで民主主義的な権力といえども個人・市民社会に介入し得ない領域を形作ろうとしてきたのです。

わたしやあなたの暮らす社会は、このような微妙なバランスの上で自由と平和を形作っています。

昨今の生活安全条例の頻発や東京都の改正青少年健全育成条例の制定は、自己と他者の連続性を理解しない思想の場所からやってきます。

そしてその場合条例がどのような正義感の発露であろうとも、憲法擁護義務の網が他ならぬ市民の手によって事実上その目を広げていくことになります。

わたしやあなたを死に場所に連れて行くのは、いつの時代もわたしやあなた自身の独善性です。

(参照:条解 日本国憲法 (学説・判例整理シリーズ) 生活安全条例とは何か―監視社会の先にあるもの )