所有権で海を削れ

湘南・鵠沼、波高し…サーファー2団体が対立(読売新聞)

「神奈川県藤沢市鵠沼海岸で、海岸の利用ルールをめぐり、地元サーファー団体間で論争が起きている。漁協に「謝礼」を払うなど独自のルール制定を目指す団体が設立され、同海岸を使用すると県に届け出たことが発端。新団体は漁協の支持を得ているこ となどを理由に、他団体が海岸を使う場合は連絡するように主張。これに対して既存の団体が「浜の私物化につながる」と反発している。」

 

民法の85条をご覧ください。

 
第八十五条  この法律において「物」とは、有体物をいう。

 

ローマ法以来、ドイツやフランス法では海は私的所有の対象とならないものとして扱われてきました。

わたしたちの日本でも、地区名称区別改定(明治7年11月7日太政官布告120号)が海を官有地第3種として以来、海面および海面下の土地は一般に私的所有の対象とならないものと解釈されてきました。

しかし実は、海を構成する海水および海底が所有権の対象となるか否かについての明文は存在しておらず、その判断は解釈にゆだねられてきています。

明治以降の判例は、当初海面の公共用物としての性質を強調し、海は公衆の使用に供されるべきもので個人の独占は認められないことを根拠に、その経緯のいかんを問わず所有権の目的とはならないとしていました(大判大正4年12月28日)。

しかしながら一律にその所有権対象性を否定するのは明らかに具体的妥当性を欠いており、行政実務上も訴訟上も通説に対抗して所有権の存在を肯定する議論が根強くなされていました。

昭和32年以降の行政解釈は、この種の土地についても所有権が認められるとし、裁判例においても海面下の土地に所有権の成立を認めるものが増えました。

そして羽田空港二重登記事件最高裁判決が、結論として海面下にも土地所有権が成立することを認めています。

 

そもそも民法は、その85条で所有権の対象となる客体を「物」と呼んでいます。

そして所有権の客体である「物」となるためには、有体物であることのほかに解釈上以下の三つが必要とされています。

1 支配可能性、2 特定性・単一性、3 独立性です。

海については特に、1の支配可能性が問題になります。

そして物は権利主体による排他的支配が可能でなければなりませんが、支配可能な状態にさえなれば、その時点で海も「物」となりうるとした最高裁判決があります。

これが最判昭和61年12月16日の愛知県田原湾の所有権を争う判決です。

田原湾事件判決において具体的には所有権の成立は否定されたものの、一般論として「海面下の土地にも私的所有権は認めうる」という理論的余地を確保した点が実は法学上重要視されています。

 

人の生活をどう良く自然に織り込ませることができるのか、そのバランスは慎重に時代の判例を積み上げながら築いていく必要があります。

そもそも所有という人の申し合わせ自体、海という圧倒的な自然の前では、その理論的橋脚をやがて細くせざるをえないのですから。

 

(以上参照:民法〈1〉総則・物権総論 民法判例百選1 総則物権 第6版 (別冊ジュリスト No.195)  )