少女はヒマワリを夢見て死んだ

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虐待死の恐怖救え 聖香さん事件1年、厳罰化訴え遺族ら署名活動

「聖香さんと双子の妹(10)は両親の離婚時、母親の美保被告に引き取られた。しばらくして妹が「(小林被告に)殴られる」と哲也さんの家に逃げてきた。だが、母親が大好きだった聖香さんはとどまり、繰り返し暴行を受けたという。捜査関係者によると、1年前の4月ごろには食事を満足に与えれず、極度に衰弱していたにもかかわらず、母親と内縁の夫に自宅のベランダに遺棄され、「ヒマワリを探しているの…」といううわごとのような言葉を残し、昨年4月5日午後3時半ごろに亡くなった。」(産経新聞)

児童虐待防止法の11条1項をご覧ください。

児童虐待の防止等に関する法律

第11条(児童虐待を行った保護者に対する指導等)

「児童虐待を行った保護者について児童福祉法第二十七条第一項第二号の規定により行われる指導は、親子の再統合への配慮その他の児童虐待を受けた児 童が良好な家庭的環境で生活するために必要な配慮の下に適切に行われなければならない。」

 
これまで児童相談所は、従来虐待家庭を指導し家庭を立て直す機能を重視してきましたが、昨今子どもの保護のために強権を発動する権限が求められる状況となってきました。

しかしながら児童相談所にはそれに関する十分なノウハウの蓄積がなく、現在児童相談所は弁護士の協力を得て後者の機能を強化しています。

児童相談所は、措置の一環として、児童福祉司等による指導を定めることができますが、児童虐待を認めない親は、この指導を拒否しがちです。

このような場合に備えて、児童虐待防止法11条1項は保護者の指導の際の配慮を規定したうえ、保護者は指導を受けなければならないとしています。

そして、同条三項で「前項の場合において保護者が同項の指導を受けないときは、都道府県知事は、当該保護者に対し、同項の指導を受けるよう勧告することができる」と定めていますが、罰則規定がないため、本条の実効性については疑問視されています。

危険な場合、親の監護権の停止権限を持たせた家庭裁判所による受講命令制度が必要だと考えられます。

子どもの虐待に関する法システムは、① 発見・通告、② 事実調査、③ 保護および援助(処遇)、④ 治療ないし指導、の四つの局面から構成されています。

このうち、児童虐待という疾病を社会全体で根治していくためには、治療ないし指導の局面が重要です。(参照:基本法コンメンタール 親族 第5版

では子供達の親によるむごいニュースを聞かなくなるためには、わたしやあなたはどういう仕組みを社会に組み込むべきでしょうか。

(以下「インナーマザー斉藤学 新講社) 」から、児童虐待の心理的構造について引用してみます。)

 

児童を虐待する親は心理的成長が不完全に終わっている場合が多いといいます。

その点で小児科学には、「成長の失敗」という概念があり、サバイバーとスライバーという用語があるそうです。

サバイバーとは、親による虐待などによって、その後の人生が影響を受けたと考えている人のことをいい、スライバーとは「サバイバーであることを主張する必要のなくなった人」のことをいいます。

スライバーは以下のような特徴を備えているといいます。

① ひとりを楽しめる。
② 寂しさに耐えられる。
③ 親のことで過剰なエネルギーを使わない。
④ あるがままの自分にやさしくできる。
⑤ 他人の期待に操られない
⑥ 自分に選択があることを見つけられる。
⑦ 自分の選択したことに責任を取れる。
⑧ 自分は世の中に受け入れられて当たり前という確信を抱いている。

子供を虐待して殺してしまう親など私達は絶対に許容できるものでなく、わたしやあなたの処罰感情は法の厳罰化を求めて当然です。

しかしながらスライバーの特徴を見る限り、それは少なくとも私自身にも欠けている要素ばかりであり、彼女たちが特別私からかけ離れた化け物であるようには思えません。

母親は乳幼児とともに過ごすことで、ある種の子供返りを行い、それが長い間封じ込めてきた「内なる子ども」の憤怒を表に出すことになるといいます。

社会から児童虐待という病巣を真の意味で取り除くには、児童を虐待する母親たちの心理的成長につきあう人々が必要だということです。

全ての母親が、いつも子どもがかわいくてたまらない必要などありません。

どんな女性でも、子どもを産みたいと思うときもあれば、子ども なんて面倒なものは欲しくないと思うときもあるほうが、道徳を押しつけられる前の生き物としては自然です。

しかし多くの母親が母性本能という神話にとらわれ、現実的に不可能な、子どもに自分のすべてを捧げる献身的な良い母親になろうと努力してい ます。

それゆえ、自分だけの時間がもっと欲しい、子どもが面倒だ、自分の子どもなのにかわいいと思えない、そんな気持ちを持ってはいけない、そんな感情を 持つのは子どもを愛していない身勝手な悪い母親だ、と自分を叱責し、感情を押し込め、じっと我慢を続けます。

押し込めてきた感情はあるとき突然、「自動的に手が動いて」わが子を突き飛ばしてしまうことで放出されます。

そして一端切れた堰は簡単には止めることができず、無力な子どもを虐待する葛藤の日々が始まる、これが児童虐待のメカニズムなのだというのです。

今、重要なのは子供に尽くすより完璧な母親をわたしたち社会が要求することではなく、現実に今夜も虐待される子供達を助け出すことであるはずです。

果たして法の厳罰化は、彼らの隠された憤怒を果たしていさめ、今もおびえながら親の顔をうかがい生きる子供を現実に救い出すことができるか、そこが肝要です。

 

幼かった聖香さんがベランダで亡くなったとき、薄れゆく意識のなかでヒマワリをさがしていたといいます。

あるいはその花でさえ、本来あるべきだった暖かい家族全員のために摘もうとしていたのかもしれません。