人の権利と国家へのコマンド

自民、徴兵制検討を示唆 5月めど、改憲案修正へ
自民党憲法改正推進本部(本部長・保利耕輔政調会長)は4日の会合で、徴兵制導入の検討を示唆するなど保守色を強く打ち出した論点を公表した。これを基に議論を進め、05年に策定した改憲草案に修正を加えて、憲法改正の手続きを定めた国民投票法が施行される5月までの成案取りまとめを目指す。」(共同通信)

憲法の18条をご覧ください。

第18条〔奴隷的拘束および苦役からの自由〕

「何人も,いかなる奴隷的拘束も受けない。又,犯罪に因る処罰の場合を除いては,その意に反する苦役に服させられない。」

 

憲法18条はその文言で、犯罪に因る処罰の場合を例外視しています。

その主眼は例外規定を「犯罪に因る処罰の場合」に限定することで、それ以外の例外を認めないところにあります。

たしかに欧米の伝統では兵役は国民の自律的義務であり、「苦役」とは異なると考えられていますし、現実に憲法に兵役義務を定める国も多く存在しています。

さらにいえば日本が1979年に批准した「市民的及び政治的権利に関する国際規約」もその8条で兵役は「強制労働」に含まれないのだと明定しています。

したがって一見、徴兵制もわたしたちの憲法18条には反しないと解釈が出来そうです。

しかしながら、かつて兵役義務を規定していたわたしたちの旧憲法であればともかく、それを明確な態度で取り外している現憲法下において、徴兵制を設けるのは仮に9条の存在を論の外に置くとしても、現憲法18条に反することになる、そう解釈するのが現在の法学説上の通説です。(野中俊彦 憲法〈1〉

そしてその解釈には、憲法にいう自由権とはなにかという問題が埋設されています。

そもそも自由主義とは、国家が国民の生活に不当に干渉するべきではないとする考え方です。

それは個人の尊厳というものをこの世に現出させるための基本原理です。

そしてこの自由主義思想を反映して, わたしたちの憲法は国家が個人の生活に干渉するとき、その国家の行為を抑止できる権利、すなわち自由権として1人1人の国民にその文言を与えています。

つまり憲法にいう自由権とは、国家による束縛に対抗する国民の盾であり、防御の要なのです。

さらにいえば自由権とは、国家が個人に与える温情なのではありません。

私たちは1人1人が他と代えがたい人格を持った価値ある息吹であり、また生まれついたその瞬間から自分自身を支配する王であって、本来どんな活動であれ不当な拘束を受けることはありません。

つまり『自由』とは、人が国家に対して当然に有する権利なのです。

自由権が、『前国家的権利』なのだと言われるのはこのためです。

その意味の前では、論理操作だけで死刑にする人を決める司法という装置も、恐ろしく壮大なファンタジーだといえます。

すなわち私やあなたの暮らすこの国の現憲法の脊髄を、脈々と「法の支配」という思想が流れているのは、議会の議決がわたしやあなたの有り様を変形させ得る「法治主義」システムを排斥した、社会生物的進化だといえるでしょう。(私見)

 

かつてハインラインが記した、地球の植民地である月が独立を目指して革命を起こすSF小説月は無慈悲な夜の女王」から、印象的な一節を引用してみましょう。

『あなたがたが憲法を作られるにあたって、私にひとつだけ言わせて下さい。

否定のすばらしい美徳についてです!

否定の強調についてです!

あなたがたの作ろうとしている憲法の原案を、政府が永久的にしてはならない事項で埋め尽くすのです。

徴兵制禁止、ほんの僅かな自由の制限もなし、出版、言論、旅行、集会、信仰、教育、通信、職業に関する干渉、そして、 自らの意思に反する税金も禁止。

みなさん、もし今までの歴史を十分に研究して、あなたがたの政府が絶対にやらないと約束すべきことを、あれこれ考えたあとで、あなたがたの憲法をそういった否定だらけのものにするなら、わたしはその結果に恐れたりしないでしょう。

私がもっとも恐れているのは、必要不可欠のように見える行為を政府に行わせようとして、政府にその権限を与える、真面日で、善意ある人々の確信ある行動なのです。』(以上参照:月は無慈悲な夜の女王 (ハヤカワ文庫 SF 207)

 

憲法は国家への否定命令文である」、ハインラインは1967年にしてその重い真実を、SF小説に仮託しています。(以上参照:LEC 全体構造テキスト)