脳死:究極の想像力

“脳死”女性が5年ぶり覚醒、犯人像を供述 (news24)

「韓国で、何者かに首を絞められて脳死と診断された女性(34)が5年ぶりに覚醒(かくせい)して犯人について証言し、容疑者が起訴された。この事件は04年7月、韓国南部・光陽で、女性が自宅アパートで何者かに首を絞められて脳死と診断されたもの。韓国の検察当局によると、女性は最近、覚醒し、催眠療法による事情聴取に対して、犯人像を供述した。」

 

臓器移植法の6条1項をご覧ください。

「臓器の移植に関する法律」

第六条(臓器の摘出)

「1 医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当 該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から 摘出することができる。」

 
法律上、人は死亡をもってその終期となります。

ただし学説上、何を持って人の死亡とするのかは争いがあり、脈搏が不可逆的に停止した時期とする脈搏停止説、呼吸が不可逆的に停止した時期とする呼吸停止説、呼吸・脈搏の不可逆的停止および瞳孔散大の三徴候を基礎として総合的に判定するとする三徴候説、脳機能の不可逆的喪失の時期とする脳死説が存在しています。

これまでの日本では、三徴候説が学説上有力でしたが、近年においては脳死説がむしろ優勢になりつつあります。

いずれの学説を採用するかにおいて、法学上、また医学上の裏打ちの強さはもちろん必要です

しかしながら、人が亡くなることには重大な社会的意味があるので、その認定基準は社会通念上納得できるものでなければなりません。

この観点から考えてみると、医学界においては確かに現時点で脳死説が通説化しつつありますが、社会通念上は脳死が人の死とすでに承認されたとはいいがたいため、死の判定は依然として心臓死を基準とする三徴候説が妥当だと通説では考えられています。

一方でこと臓器移植においては、脳死説を基礎として「臓器の移植に関する法律」が平成9年に制定、同年10月16日から施行され、既に脳死体からの臓器移植も実際に数多く実施されています。

そしてその臓器移植法6条は、脳死状態にある人がドナー・カードを有している場合であって、その遺族が臓器の摘出を拒まないとき、または遺族がいないときは、脳死を判定して死体あるいは脳死した人の身体から臓器を摘出することができると規定しているのです。

この法の創設によって、少なくとも臓器移植に関する限りは脳死説が法的に容認されたというわけです。

結果的に現在、法律上臓器移植がある場面と、それ以外の場合の死において、判定方法に二つの判断基準が生じてしまってはいます。(参照:大谷實 刑法講義各論

 
韓国で脳死と判定されていた女性が、本当に脳死状態だったのか、実はいわゆる植物状態だったのではないかなど、もちろん慎重な議論が必要です。

しかしながらそれ以上に今もっとも要求されているのは、死という社会的判定の向こう側に明白な意識のまま閉じ込められる可能性があるのは、明日のわたしやあなたかもしれないという想像力かもしれません。