殺しの季節が終わり、大樹は豊かな影を揺らした

「無罪主張は悪あがき」ウィニー裁判でNHK記者“暴走”(iza)

「《弁護側がいわば的外れな見解を繰り返している間に、検察側は着々と犯罪事実の立証に足る、最低限の条件をクリアしていっています》《「悪あがき」をすればするほどあなた(=金子氏)の評価は下がる一方です》《NHKのインタビューに応じて、その行動にいたった動機を正直に話せば、世間の納得は得られる》《仮に有罪判決になってもインタビューに出て世間に本音をさらしたことで執行猶予がつくのは間違いありません》《無罪を主張し続ける限り、減刑の余地はない》壇弁護士はブログで、記者の行為を「露骨な弁護妨害」とし、地裁判決後の記者会見で、「何食わぬ顔で最前列に構えていた」ことにも不快感をあらわにしている。」

刑事訴訟法の30条1項をごらんください。

第30条

「1 被告人又は被疑者は、何時でも弁護人を選任することができる。」



もしわたしたちが何かの手違いで身に覚えのない罪の被告人とされてしまったとき、わたしたちには自己の利益を防禦する権利が与えられています。

これを弁護権といいます。

ふつう被告人になってしまった人は法律上の知識や訴訟上の経験が豊かなわけでもありません。

それどころか普通は訴追されているというだけで心理的に相当の打撃をうけています。

そして普通の素人が、国家機関である検察官の攻撃に対し、みずからの法的権利・利益を守れるはずがありません。

まして勾留されている場合は活動の自由が奪われていますので、一層その法的立場はどんどん追い込まれていきます。

だからこそ、被告人の利益擁護にあたる弁護人制度が必要となるのです。

憲法の37条3項では、「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる」とされています。

また同じ憲法の34条では、さらに「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない」としていて、被告人及び身体を拘束された被疑者の弁護人依頼権を憲法上の権利にまで高めています。

これを刑事訴訟法ではさらに一歩すすめ、その30条1項が身体の拘束・不拘束を問わずすべての被疑者は弁護人を選任することができる、としているのです。

実は旧刑訴時代には、起訴されて被告人になるまで、弁護人を選任する権利は認められていませんでした。

戦後にできた現行刑事訴訟法が、被疑者になった段階から弁護人による保護を与えたことは、基本的人権という大樹が、長い年月をかけてのばした豊かな枝葉だといえます。

こうした現行刑事訴訟法における弁護人の立場を解釈すれば、弁護人は単に被告人の意思に従属してこれを補助するにとどまらず、自己の判断にしたがって被告人の正当な利益を擁護しこれを弁護する役目をもっているとまで言えるのです。

(以上参照:光藤景皎 刑事訴訟法 1

 

わたしたち人間は、誰しも一端権力を与えられればこれを極限まで行使しようとする性質を持ち合わせています。

そしていつの日か誤った手続きで起訴をなされ、処罰感情という刃の前に立ち震えるかもしれないのもまた、わたしたち自身なのです。